黒坂岳央です。

書店にいくと「頑張らなくていい」「努力なんてしない方が得」みたいなタイトルの本をよく見る。記事や動画でもこの手のタイトルはアクセスが良いようだ。

そして内容を見ると、レビューやコメント欄は「そうだそうだ。もう頑張っても報われないんだ」と賛同の声が並ぶ。

筆者は「努力すれば必ず報われる」「頑張っていればいいことがある」などと昭和の気合根性論を好んでいるわけではないが、昨今の「頑張ってもムダ」という風潮には違和感と論理的矛盾を感じる。

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布教者ほど誰よりも努力している

「努力はコスパ悪い」「頑張るだけムダ」といった意見を出す人は多いが、経歴や実績を見る限り、どう考えても努力した結果として今の成功を築いていることが少なくない。

「自分は一切の努力をせず、行動もせず、リスクテイクもしてこなかった。毎日遊んで寝て起きることを繰り返していたら、勝手に成功していました」という人の中で、こうした主張をしている人を自分は見たことがない。

そして何より「発信活動」という大変努力を求められる行動を何年も継続している。やってみればわかるが、記事や書籍、動画なりで意見を主張するのは並大抵の努力ではない。ネタ切れにならぬよう必死に勉強をし、人の心を動かすトークを磨き、時には炎上でメンタルを削られる大変な仕事だ。

これまで努力に努力を重ね、一般人ができない行動力、リスクテイクをし、さらに現在進行系で努力し続けて掴んだ地位にいる人が「努力なんてムダ」というのは大きな矛盾に感じてしまうのである。

たとえば親から莫大な資産を引き継いで、生まれた時から一生困らない資産を得たという人がいうなら説得力がある。実際、そういう人と仕事を通じて会ったこともあるので実在することを知っている。

だが、そうした事例は全く再現性がないので、人の興味を引かない。「生まれつき東京の一等地で商業ビルから賃料収入で育ちました」と言われても、「なんだただの自慢かよ」と興味を持たれず仕舞いとなり、それではプレゼンスを維持できない。