結論的に「頑張るだけムダ」という意見主張は多くの場合、こうした事情から成り立たないのである。
正しい努力なら報われる世の中にはムダな努力というのが存在する。筆者もかつて、これに手を染めていた時期があった。
聞き流し英語教材を使って何百時間もリスニングをする。まったく適正のない分野の仕事で能力を発揮しないまま頑張る。
こうした経験を持つ自分としては、「努力は必ず報われる」とは言えない。ただ、それでも「正しい努力はした方が得」という主張をしたい理由は2つある。
1つ目は適正や効果の多くは、実際に努力してみないと分からないことも非常に多いことだ。筆者は会計の分野で米国留学先で学び、週末に資格スクールで勉強し、複数の会社で業務経験を積んでいた。
先端のテクノロジーの粋を集めたシステムを使い、東大卒、海外MBAホルダーともハイレベルな仕事もしたが、10年間に及ぶ努力の結果「この分野は自分には全く向いていない」ということが分かった。
確かに10年間も空振りをし続けたのは手痛い損失だった。自分が器用ならもっと見極めの期間を短縮が出来ただろう。だが、やる前から「この分野は自分に向いているかどうか」を見極めるのは100%不可能だといい切れる。最低でも、1年はフルコミットしないと才能や適性は判断つかない。それには努力が必要だ。
2つ目は失敗からも多くの教訓やデータを集めることができる点である。たとえば英語の勉強について言えば、聞き流しリスニングを始め、英会話スクールや英語日記など本当にあれこれ手を出し、すぐに挫折することを繰り返してきた。
だが自分は諦めが悪く、英語へのあこがれが非常に強かったので最後に多読の勉強法に手を出したことでようやく自分で満足の行くところまで身につけることができた。
でも最初から多読にたどり着くのは不可能であり、いくつも失敗したからこそ「これは本質的な学習メソッドだ」と合点がいくことで、多読を始めた時から迷いなく本気で取り組むことが出来たのだ。それには過去にたくさんの失敗をした経験から学びを得たことが非常に大きい。