前回の続きです。
本論考のような主張をしますと、様々な反論が出てくることが予想されます。
日本と欧米では死生観や文化的背景が大きく異なるため、安楽死は日本人には向いていないとする反論があるかもしれません。しかし、現在の日本において本当にそのように言えるのか私には疑問があります。
私の主観にすぎませんが、コロナパンデミックを経て、ここ数年で日本人の死生観は大きく変化したように思われます。その意味においても、国民投票が実施され、国民が何を望んでいるかを知ることが大切と私は考えます。国民の死生観の変化が把握できる点だけにおいても、国民投票は実施する価値があるのです。
安楽死反対派は、時期尚早とか議論が不十分とかで国民投票に反対してくると考えられます。しかしながら、時期尚早と主張する人は、何年議論を続けても時期尚早と主張すると予想されます。反対派の言うことを聞いていましたら、半永久的に何も決まりません。
命に関わる問題なのだから慎重をきすべきという考え方もありますが、それは一種のゼロリスク信仰と言えるものです。安楽死の実施のリスクをゼロにすることは実質的に不可能と考えられます。リスクを可能な限り減らすことは大切です。しかし、すべてのリスクに対応してリスクをゼロにしようとすれば、半永久的に安楽死は実施できません。
ただし、リスクに対する対策は必要です。私は安楽死に賛成の立場ですが、無条件で賛成というわけではありません。安楽死を実施する場合の問題点については次稿で考えてみます。
緩和ケアが欧米と比較して普及していない日本で安楽死は可能なのか?終末期には肉体的および精神的苦痛を軽減するために緩和ケアが実施されます。しかし、日本では緩和ケアが十分に普及しているとは言えません。そのため、「緩和ケアが普及していない日本では安楽死は論外だ」と主張している医師がいます。