なお、公平を期すために、賛成が13.8%と低かった調査があったことにも言及しておきます。ただし、この調査では「単なる延命治療を中止した場合、どういう方法を採るべきか」という質問であったことに注意が必要です。

後述しますが、安楽死は延命治療が中止された場合に実施されるものではないため、設問が適切ではありません。「終末期においての耐えがたい苦痛を回避するための選択肢として安楽死を容認しますか」という質問であれば結果が大きく変わる可能性があると 私は思います。

なぜ、日本では安楽死の国民投票の議論に進展がないのか?

おそらく有識者が、安楽死のような重大な問題を国民の直接投票で決めることに反対なのだと推測されます。つまり、専門的な知識を持たない国民にこの問題を判断させるのは危険だと考えているのです。

意外なことに、海外において安楽死の法制化が国民投票あるいは住民投票で決められた国は多くはありません。アメリカ合衆国の3州(オレゴン州など)とニュージーランドのみです。なお、ニュージーランドの場合は、議会で可決された後に国民投票が実施されました。海外でも国民の直接投票で決めることは危険だと考えられているようです。

私は国民投票で決めることを危険だとは考えません。この問題には正解はありませんので、是非の判断に危険などはありません。危険があるとすれば、安楽死の制度設計に不備がある場合です。安楽死のリスクについては後ほど論じる予定です。

繰り返しますが、安楽死の是非を決める権利があるのは国民です。有識者や国会議員に決める権利もありませんし、その能力もありません。有識者や国会議員がするべきことは、正確な情報を国民に提示すると共に、日本に適した不備のない安楽死の制度設計をすることです。最終決定者は国民でなければならないと私は考えます。

この役割分担を国会議員が理解できていないため、この議論は進展がないのだと私は考えます。 国会議員は安楽死を支持した際の批判を恐れているのかもしれませし、選挙にマイナスだと考えているのかもしれません。安楽死の問題に正面より取り組む胆力のある国会議員が少ないからかもしれません。あるいは尊厳死の法制化が完了しないと安楽死の法制化の議論は始めることができないと誤認しているからかもしれません。尊厳死との関連については後述します。