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「安楽死の是非に正解はあるのか?」

これは以前より私が抱いてきた疑問です。ここでいう正解とは、「すべての人間が納得できる結論はあるのか」という意味です。更に言えば、今後日本において数十年~百数十年にわたり安楽死の議論を続けたとしても、「誰もが納得できる結論に至るということは有り得るのか」いう疑問です。

安楽死の問題は、個人の死生観に関わる問題ですから、百人いれば百通りの考え方があっても不思議ではありません。逆に言えば、議論の結果、もし100%の賛成が得られたのであれば、極めて不自然であり実に気持ちの悪い話です。

何年議論しようと、賛成の人の多くは賛成のままであり、反対の人の多くは反対のままの方が自然です。考え方を変える人がいるとすれば、確固たる考えを持たない人のみです。

正解がないのですから、日本では国民投票を実施して、安楽死の是非を決めるべきと私は考えます。安楽死の是非を国会の採決で決めることには私は反対です。 国会でするべきことは安楽死に関する国民投票法の制定です。

国会議員や有識者に安楽死の是非を決め、それを国民に押し付ける権利があるのか?

私はないと思います。何故ならば、この問題には誰もが納得できる答えなどは存在していないからです。

国会議員、有識者、マスコミがするべきことは、安楽死が実施される場合の問題点を整理して、国民に提示することです。緩和ケアやセデーションについても、ポジショントークではない実際に即した丁寧な説明が必要です。

国会議員や有識者に安楽死の是非を決める権利はありませんし、自分たちの考えを国民に押し付ける権利もありません。十分な情報が提示された後で、国民一人一人が自らの頭で考えた上で、国民投票で決めるべきです。

世論調査では、7~8割の日本人が安楽死に賛成 と答えています (朝日新聞:死生観の世論調査.2010年) (NHK「生命倫理に関する意識」調査. 2014)。したがって、もし日本で国民投票が実施されれば賛成多数で可決される蓋然性が高いと考えられます。