神様が乗り移って動かす手
「その時に分かったのが、自分が手を動かしているのではなく春日神社の神様がやらせているんだなと」その後の作業もとにかく早く進み、予定の半分のたった5日で修復が完了したのだそうです。
漆ではなくペンキで、そしてボンドを使いながらの仮修復ではあるものの、もう復元不可能かにも思えた神輿は見事に再生。そしてまた大事に倉庫にしまわれた神輿を後に、有村さんは集落を出ます。
再び有村さんが集落に立ち寄った際に、「お祭りやるよ!」との嬉しい声が。有村さんが現地で聞いたその時のエピソードを話してくれました。
「実は、祭りをやるかどうか評議している最中は反対派が主流だったみたい、祭りはやめようって。土砂災害もあったし二重苦になって皆とても辛くて、隣の集落では死人も出たしみんな祭りを自粛していた。
だけどそのタイミングで、神輿が直されていたことが初めて皆に知らされて驚いて、評議していた全員で神輿を見に行った。
そこから空気が全然変わって、祭りを「やめよう」という話から「どうやってやろうか」という話になっていったんだって」と、その話を聞いた時は嬉しかったよと有村さん。
「自分がやったとは思っていないよ、神様だよ」と何度も繰り返す有村さんは、祭りの当日も一緒に神輿を担がせてもらって最高だったと話します。
キリコ祭りが人々の生きる望みを新たに吹き込んだ、そんな話を聞いていて、改めて昔から伝わる祭りの重要さを思い知らされました。
災害があってどん底に落ちても「生きよう」という望みを捨てず、前向きな生き方や未来を選択できるもの。祭りというものの持つエネルギーの強さを改めて知ったような気がしました。
日本各地にたくさんの祭りや伝統文化がありますが、今はどこも後継者がいないという深刻な声を聞きます。それは誰かに聞いたことではなく私が実際に行った先々で何度も聞いているので、はっきり言ってとてもリアルです。
だからこそ一度でも途絶えさせるといけない、それは能登の人たちも強く感じているのだろうと思いました。
一度消えたらもう戻すことは難しい、だからこそ今私たちにできることは、全国にある祭りにもっと注目して後押しして盛り上げ、日本の魂を元気づけて復活させていくことなのではないかと。
能登の人たちから学んだ「生き方」という柱
多大な被害の中にあってまずはここからと、「祭」という生きる為の柱を打ち込んだ能登の人たち。祭り開催には賛否両論あったそうですが、それでも彼ら自身としての生き方を見失なわなかった姿に、私は感動を覚えました。皆さんはどう感じましたか?
能登の震災がもたらした被害は大きく、まだ多くの人々は家にも帰られないまま不安な日々を過ごしています。私たちにできることは、彼らがいまだ大変な状況にあるというのを忘れないこと、そして自分たちの防災も含めて準備すること、普段から身の周りにあるコミュニティーの大切さや仲間との繋がり、そして私たちの生きる支えとは何なのか...それを忘れないでしっかりと認識することのように思えました。
彼らから学んだことはとても大きいように感じます。私たち1人1人ができることは微力でも、互いを元気づけ、大勢の人が少しづつでも何かを支え合えるような世の中であられるように。
そしていつ世界で何が起ころうとも自分たちの足で立てるように、今回の能登の人たちの生き方を聞いて深くそう思ったのでした。
文・写真・Hinata J.Yoshioka/提供元・たびこふれ
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