救出されたある物...それが集落の運命を変えていく

蘇れ能登!彼らの命の灯火を支えるもの、それが何であるかを思い知らされた日
(画像=『たびこふれ』より引用)

先日、私の友人が能登のボランティアを終えて沖縄へと帰る途中に立ち寄ってくれたのですが、そこでもまた能登のお話を伺うことに。

そのお話は少し不思議な内容で、彼はまるで神様に呼ばれたかのようにそのお役目を果たして来たといった内容だったのです。沖縄で、キャンプを通して楽しく防災を呼びかける発信をしていた有村さん。

年明けの震災のニュースでいてもたってもいられなくなり即現地入り、七尾、能登町、珠洲市などで大工仕事をして棚やドア、屋根など壊れたものをなおしたり、炊き出しをしたりと活動を続けて来ました。

そんな中で出会った地域が、珠洲市にある馬緤(まつなぎ)町という、地震の時に孤立してしまっていた場所。そこに住む人たちは海で獲物を取り山で恵みを収穫するような、伝統的な暮らし方を昔からしていました。

自給率も高く普段から自立しているような場所だったので、震災後も人々は助け合いながらその場所で何とか生活していたそうです。

そこである日、有村さんは神輿のことを耳にします。地元にある春日神社の拝殿が余震で崩れて屋根がどさっと落ち、その中に入っていた神輿が潰れてしまった。

どうしても神輿を守りたいと思った神社関係者が、崩れた屋根の下に潜って壊れた神輿を救出、落ちてしまった小さなピースも全部バケツに拾い集めて四人で引っ張り出し、倉庫に大事にしまっておいた...そういう神輿がここにあるのだと聞いたのです。

次々にハマっていくパーツに背中がゾクッ

蘇れ能登!彼らの命の灯火を支えるもの、それが何であるかを思い知らされた日
(画像=『たびこふれ』より引用)

その神輿を見せてもらった時に、有村さんは「呼ばれたなと思ったよ、神様に。これを直しなさいと」そう直感で感じたのだそうです。「これを私に直させてくれませんか?」と提案した有村さん。

「キリコをやらないと集落がまとまらないでしょ?私が神輿を直したら、祭りをやってくれますか?」と聞くと、「神輿がないことには祭りはできないからね...そりゃあ直ったら嬉しい」と声が上がります。

「9月にまた来て、かつげるようにまではなんとかしてみる」と約束して有村さんは、一度その場を後にします。

そして9月半ば、再び現地入りした有村さんは神輿を前にして作業を始めます。10月13日の祭りの日までに何とか間に合わせようと、最初はパーツの仕分けから始めました。総漆の文化財のような見事なお神輿に驚きながらもとにかく向き合います。

屋根と胴を繋ぐ指ぐらいの小ささのパーツがバラバラで、これは厳しいだろうと直すのに10日はかかるとみていたけれど、やり始めたら何気に取るパーツごとにピタッとハマっていく。

屋根の角の4カ所のパーツも一発で当てはまってっていく。背中がゾクゾクするほど凄い時間だったと有村さんは振り返ります。