果ては党内コンセンサスで内定した次期トップ習近平になり代わって、自分がトップに座る野望を抱いた薄煕来(当時重慶書記)がクーデターまがいの陰謀を企む衝撃的な事件まで起きた。これが「体制の危機」でなければ何だろう?
このように、習近平氏の治世は、喩えて言えば「墜落しかけの飛行機のコックピットに座る機長」のようなところからスタートした。
その後、習氏が「蠅も虎も捕まえる」反腐敗から始めて権力を握り、人事を通じて軍を含む全権を掌握し、憲法を改正して多選の途を拓いて今日に至るのは、昨今誰しも知るところだ。
全権を掌握した習近平氏は、逆らう者とて居なくなった無風状態で思うまま権勢を振るっているのか…そういう風には見えない。
いま共産党と政府は、口を開けば、「党中央の指示に従え、言いつけを守れ」を繰り返している。
同時に、社会の不満の矛先が政府に向かうことを恐れて、「舆情」(意訳すれば「世論動向」か)の統制に多大の労力を費やしている。各級地方政府に加えて、学校、企業など様々な組織、職場に舆情統制の担当部署を設けさせて、「持ち場で騒ぎを起こさせるな、予防しろ、万一起きたら直ちに鎮静化させろ」を徹底している。
言論の取り締まりは上からの強制力だけでなく、「持ち場で騒ぎが起これば自分たちのクビが飛ぶ」と神経を磨り減らす思いで行っている自己規制の両面から行われており、中国の社会、世相は、10年前には思いも及ばなかった重苦しさに包まれている。
宮沢総理は「今後の経済発展につれて、中国に民主化が定着していくとは限らない」という懐疑論を述べた。習近平氏の今の治世は、まさにそのとおりになった訳で、宮沢総理の炯眼を思う。「中国道」に入門したての頃の私にとって、こんな展開は思いも寄らなかった。
しかし、入門後30年を経過した今の私は、一方で今のような治世が中国の「歴史の終わり」にはならないと思う。
※ 「歴史の終わり」という表現はソ連の解体、冷戦の終結をみたフランシス・フクヤマが「国際社会で民主主義と自由経済が最終的に勝利した」と考えて唱えた「歴史の終わり」を想起して使っている。