こうした性質は、血液中の白血球を激減させる原因にもなり、多くの兵士を免疫機能の低下で苦しめました。
しかし、科学者たちはこの性質が、異常増殖するがん細胞の破壊に応用できる可能性を見い出したのです。
その後の研究で、マスタードガスの化学構造を改良し、毒性を抑えた「窒素マスタード」が開発されました。
1940年代にアメリカのLouis Goodman (ルイス・グッドマン) 博士とAndrew Gilman (アンドリュー・ギルマン) 博士が窒素マスタードの医療への応用について研究を始めました。
彼らはまず動物実験を行い、窒素マスタードがリンパ腫に対して劇的な効果を発揮することを確認しました。
この結果は、窒素マスタードを使用した化学療法の有効性を、初めて動物モデルで証明したものとされています。
この成功が、後の臨床試験への道につながるステップとなりました。
1942年には末期のリンパ肉腫患者を対象に窒素マスタードを使用した世界初の化学療法が試みられました。
この治療は当時、非常に実験的でリスクの高いものでした。
なぜなら、窒素マスタードが新しい物質であり、その適切な用量や副作用について十分に理解されていなかったためです。
また、患者にとっては未知の治療法であり、身体への影響が予測できないという不確実性も伴っていました。
しかし、患者の腫瘍が一時的に縮小し、窒素マスタードががん細胞に効果を持つことが実証されました。
戦争が終結した後も、窒素マスタードの研究は続けられました。
イギリスのAlexander Haddow (アレクサンダー・ハドウ) 教授は、この物質の化学構造を改良し、毒性を低減しながらがん細胞への効果を高める方法を探求しました。
この研究成果により、窒素マスタードは現代の化学療法薬の基盤となりました。
現在でも、窒素マスタードを基にした薬剤は、乳がんや白血病、リンパ腫といったがんの治療に使用されています。