ハーバー自身は、化学兵器を「戦争を迅速に終結させ、犠牲者を減らす手段」として正当化していました。
1917年7月、ベルギーのイーペルでマスタードガスが初めて戦場に投入されました。
このガスは足元に黄色い霧を漂わせ、胡椒のような匂いを放っていたと言われています。
ガスにさらされた兵士たちは、24時間以内に激しいかゆみや水ぶくれに襲われました。
一部の兵士は血を吐きながら命を落としたと記録されています。
マスタードガスの恐ろしい特徴は、防毒マスクでは完全に防ぐことができない点にありました。
このガスは呼吸だけでなく、皮膚を通じて体内に吸収されるため、全身に深刻な損傷を引き起こしたのです。
最初のイーペルでの使用では、1万人以上の死者が出たとされています。
このため第一次世界大戦は「化学者の戦争」とも呼ばれています。
新しい科学技術が人命を奪う兵器として使用されたことで、科学の発展がもたらす倫理的な問題が露わになりました。
そして、第一次世界大戦での化学兵器の惨状を受けて、科学技術を破壊的な目的ではなく、平和的な用途に活用すべきだという議論が国際的に高まってきたのです。
その結果、1925年には化学兵器の使用を禁止するジュネーヴ議定書が採択されました。
そんな、戦争のために開発された技術が、この後、医療分野に革新をもたらすきっかけとなります。
マスタードガスの人体への影響に関する研究が、人体に有害な細胞を倒すために転用されることになるのです。
戦争がもたらした医療革命、がん化学療法の誕生
マスタードガスは、戦場で多くの命を奪った化学兵器です。
戦場での使用によって明らかになったマスタードガスの性質は、皮膚や粘膜だけでなく、リンパ組織や骨髄の細胞にも壊滅的な損傷を与えました。