月面に足跡を残すという「人類の大きな1歩」は、ご存知の通り1969年7月のこと。しかし、その300年以上も前に月面への旅を計画した人物がいた。彼は月への旅行を可能にする“空飛ぶ戦車”の制作に取り組んだのである。
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■17世紀の月旅行計画とは?
1961年にロシアの宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが人類で初めて地球を周回し、1969年7月にはアメリカのアポロ11号が初めて月の地表に降り立つなど、冷戦時代から現在に至るまで宇宙開発をリードしてきたアメリカとロシア(ソ連)。しかし、実は最初に有人月探査ミッションが提案されたのは1640年、イギリスであったのだ。
17世紀イギリスの数学者、天文学者、聖職者であるジョン・ウィルキンズ(1614~1672)。皇太子の牧師や、オックスフォードのワダム・カレッジの学長に任命されるなど、生涯を通じて学術的にも教会的にも複数の高位の地位に就いていた彼は、1660年に「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」設立にも参画した。
この時代、月のような天体は地球とはきわめて異なった環境であり、同じ自然法則が適応された世界ではないというのが一般的な考えであった。しかしウィルキンズは、この考え方に異議を唱えるために、1638年に『A Discovery of a New World in the Moon(直訳:月に新世界を発見)』を出版した。
彼は、望遠鏡による観測で判明した月の特徴を地球と比較し、月は岩石からできた自然物であり、独自の大気を持っていると主張した。ウィルキンズの主張はガリレオとコペルニクスの支持を得るとともに、同著ではイラストを用いるなど科学的知識のない人でも理解しやすい形で、月への旅の課題と仕組みが説明されている。