1997年から、それまでは日陰の存在、言わば(社会主義公有制を建前とする)体制の軒下で「雨宿りくらいはさせてやる」程度に扱われてきた民営企業に急に脚光が当たるようになった。これが印象に残った二つめの出来事だ。

転機が1997年に来たのは偶然ではない。この年に開かれた第15回共産党大会が「国家の安全に関わったり自然独占性を帯びるような業種を除くが、競争産業からは国有資本を退出させる」ことを謳って、民営企業の存在を正面から認知したためだ。国有経済の範囲を狭め、民営経済を発展させていく流れは「民進国退」と呼ばれた。

私は強い興味を覚えて、北京の邦人有志と連れだって各地に視察に出かけたりして、民営企業家と付き合うように心がけた。活力と野心に溢れ、社業の発展のため寝食を忘れて働く、それまで会ったことのないような中国人との交流は新鮮で、興奮した。

中国民営企業は日本でほとんど知られていなかったから、北京から帰国後の2001年からは彼らと日本の経済界の交流イベントも開催した(日中経済討論会、このあたりの思い出は私の処女作「中国台頭」に記した)。

中国共産党が宗旨違いの「民進国退」を進めたのは何故か?かなり時間が経ってから思い当たった。チコちゃん流に言うと(w)、「国家財政におカネが無かったから~♫」だ。

1980年代に進んだ改革開放は国家財政を直撃した。それまで農産物の売却益(専売制を敷いて農家から安い価格で買い上げ、都市では高い価格で売って差益を出す)と、国有企業の利益上納を2大財源にしてきたのに、農産物流通の自由化が進むと差益を取れなくなった。国有企業は海外との競争が激化して政府に利益を上納できなくなった。中央財政は2大財源を失って、90年代に素寒貧(すかんぴん)状態に陥る。

経済を成長させるには資本(キャピタル)が要る。借金だけで事業を興せば黒字は出しづらく、累積赤字の山を築くことになり易い。でも財政にはカネがない。一方、国民に「カネがないので経済成長は諦めろ」とも言えない。どうするか?