「○○がサン・シティでプレイするって!」「信じられない」「膝から崩れ落ちました」「涙が止まらないのでもう仕事休みます」「とりあえず、#○○のサンシティ公演に抗議します」「○○界隈ってキモい」「おまえ5年前のツイートで○○聞いてるって言ってたよな今どう思うの?」「○○のフォロワーは全員レイシスト扱いでいい」「この店は○○のCDを入荷してます、置くのをやめるまでもう買いません」「サン・シティ的な発想はトランスジェンダー排除の場面でもよく見られる、つまりトランス差別者は○○と同じ」「オープンレター『サン・シティ的な文化を脱するために』」「署名しました!」「(○○のフォロワーだけど一緒に燃やされたくないんで)署名しました!!」「うおおおお俺たち意識タカーッ!!!」

はい、③確たる自分がないのを他人への攻撃や付和雷同でごまかす人は、ニセモノです。「歴史のインフレ」をめぐって警報が出ている今年は、戦争や昭和史を素材に上記の事態が起きますから、いまから注意しましょう。

こうしたニセモノたちが、あたかも自分が社会正義の実践者であるかのように錯覚する風潮は、たかだか20年代前半のコロナ禍での流行にすぎず、けっして古くからあるものではありません。変えられないものでもありません。

ホンモノは、自分で考える。そして、ここが大事なんだけど、ホンモノかどうかに学歴や専門は関係ない。昔のポップ・ミュージックの曲からだって、いくらでも深くこの世界の課題を捉えられるように、自分で考え抜く姿勢さえあるなら、学問と関係なくその人はホンモノである。

ホンモノは、オレはどうするかを考える。ニセモノのように徒党をなして他人を叩き、「キャンセル」を自分の成果だと錯覚したりしない。

いま、2020年代は折り返し地点。散々だった前半から挽回するために、なにより必要な一歩は、ここ5年間の軽薄な流行は「ニセモノ」だったという社会的な合意を、しっかり築くことでしょう。