かつて1億総中流という言葉がありました。1970年代初頭の人口1億人と中流意識をひっかけたものです(人口が1億人に到達したのは1967年です)。これは主に経済的見地における他人との比較文化の一環だったと考えています。三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の普及と所得増加、雇用の安定がもたらした物質的満足を通じた国民意識の共有化だったと思います。
社宅ではお隣さんといかに同等の生活レベルにするかが奥様方の課題であり、駐車している車はそれぞれにちょっぴり個性を出すけれど基本は皆同じでした。これが1980年代になると経済的にちょっと上に行く人たちの別の世界に焦点が当たります。これを上手に表現したのが「金曜日の妻たち」略称、金妻であります。その中で焦点の当たった東急田園都市線たまプラーザはアッパーな方々の新しい意識変化を捉えたものでした。
そのような昔話の主人公は団塊の世代の方々でした。時代は次の世代に継がれていきますが、そこでトラップされたのが失われた30年だったという見方ができると思います。つまり戦後の苦しい中でもがきながらも国民が皆で努力してなしえた60年代、70年代から子の世代に引き継がれた90年代、2000年代はもがくのです。私からすれば「子はみな踊りすぎた」とも言えます。
今、我々は団塊の世代の方を基準にみると子から孫の世代に移るところです。ここで私は価値観の変化を期待したいと思うのです。経済的に一定の閉塞感、ゆとり世代もあり差がつきにくい社会を演出してきた中で「俺(わたし)、飛び出してみたい」という意識が必ず生まれてくると思うのです。
日本は裕福です。外になんか出る必要ない、おまけに外国人が今では勝手にどんどんやってきてお金を落としていってくれます。ホクホクです。だけど世界を見れば日本とは全く違う景色があり、激しい闘争や論争、開発競争などを通じて次の世界を模索しています。ならば新しい世代を生きていく日本の方には「自分たちにももっとできる」という野心に火をつけてもらいたいのです。