藤原道長の全盛期、藤原行成が著した日記『権記(ごんき)』に1006 年、「春日大社に参拝した時シカに遭った。これは吉祥だ」と書いています。つまり、藤原道長が権勢をふるっていた時代には、奈良ではシカは既にお鹿様だったことがわかります。
つまり紫式部や清少納言にとっても奈良のシカがお鹿様なのは常識だったということで、ずいぶん古い時代から神鹿として大切にされてきたことがわかります。
しかしこの神鹿思想はなかなか厳しくて、中世から近世においてはシカの密猟で死罪になった人の記録も見られます。
それ以外に人を角で突くなどの被害もあったため、江戸時代に入ってからは対策が取られるようになりました。記録には、寛文十一年十月十六日、初めて神鹿を捕らえて竹垣の内に入れた、とあります。さらに寛文十二年からは毎年角伐りが行われるようになりました。
江戸時代も春日大社や興福寺などから保護されてきたシカですが、明治維新では廃仏毀釈などの反動で乱獲されたこともわかっています。シカに罪はなかったのに、気の毒なことですが、そのせいで奈良のシカは激減しました。
そのため奈良県は春日大社の申し出を受けて1878年にシカの保護区を設定しました。
安寧を取り戻したかのような奈良のシカですが、第二次大戦中に再び乱獲されました。食糧難の中、密猟されてしまったのです。
通常、山林に生息して人を見れば逃げるシカですが、奈良の「お鹿様」は人慣れしているだけでなく、人は自分に危害を加えないことを学習しているので、他の地域のシカより捕獲しやすかったかもしれません。