「映え」的に押したのが石丸信二氏だったと思います。「今年の人」と言えばタイム誌が選ぶ特集が有名ですが、あれは世界バージョン。日本だけ見れば私は石丸信二氏が作り上げた「人間映えスタイル」が日本、特に若い世代を変えたと思います。
日本のみならず世界全般を通して言えるのは、社会を均質化しようとする流れです。特に業務に於いてはかつてのマニュアル縛りというより、AIやロボット、IoTといった機械相手の仕事が増えてきたために、人間のやる仕事が機械に制御されている状態になってきています。これは着実に没個性化を進めます。スマホを片時も離さないのも個人的には知らず知らずのうちに人間の同質化を進めていると思います。AIが判断する答えは枠組みから外れないのです。
その中でそう来るか、と思わせたのが石丸氏であり、兵庫県の斎藤知事に対する賛否も「映え」的には面白い題材だったと思うのです。そこには読めないドラマがあるのです。
最近、有名人のコメンテーターたちの番組がつまらなくなった気がするのですが、理由は彼らのコメントに「映え」がないのです。かつては「そうきたかぁ」と思わせるコメントも多く、メディアが煽ることで一時的なブームだったと思いますが、彼らは所詮コメンテーターであり彼らそのものが「映え」ではない点で飽きられてきたと思います。
では「映え」の横綱は誰か、といえば私は迷うことなくトランプ氏とイーロン マスク氏を挙げます。理由は言うまでもありません。この2人の言動は先が読めないのです。故に注目され驚きの発言をするたびに注目が集まる「映え」が完成するのです。
同じ驚きの発言にしても、例えば1年ぐらい前に話題になった成田悠輔氏も学者としての発言なら面白かったのに、バラエティ番組のコメンテーターに成り下がってしまったからちっとも面白くなくなったとも言えるのです。つまりトランプ氏にしろマスク氏にしろ本業としての発言とその発言に対する実行力を伴っていたことに最大の意味があるのです。