1000万部という巨大部数は24年10月には575万部(前年比36万部減、ABC部数)まで激減しています。100万部の大台で比べると、半減です。もっとも朝日新聞はこの間、全盛期の800万部台が330万部、毎日、産経、地方紙も同様ですから、読売だけが急落したのではありません。ですからナベツネさんが手を打たなかったから読売の部数は落ちたということにはなりません。いろいろな要因があったでしょう。

ネットによる紙の新聞の浸食、特に若い世代の新聞離れ、景品(ビール券、洗剤など)をつける販売手法の限界、急増するマンションなどへの入館が難しくなった訪問販売などが背景にあるでしょう。編集面からみても、取材される側の取材規制が強化され、スクープが難しくなり、新聞の魅力が落ちました。そうした社会的な構造変化が新聞の存在感を衰えさせていったのです。剛腕のナベツネさんにとっても不可抗力の歴史の変化があったことは確かでしょう。

読売が1000万部を突破したのは1994年で、憲法改革試案を発表するなど、読売新聞の全盛期を迎えました。ナベツネさんは91年に社長・主筆に就任し、2004年会長・主筆になり、今年の12月に死去するまでの約30年間、読売のトップを続け、社論形成や主要人事の全権を握っていました。

ですから紙媒体が情報化社会の中で、部数やアクセス件数が示す情報の伝達力、経営に直結する広告収入力、世論や社会的コンセンサス形成の面で主役の座から降りていく流れに対し、何をしようとしていたのかをもっと発言してもよかったと思うのです。どうも晩年に紙媒体の深刻な危機に深く気がついたようです。

主筆が死去して間もない12月21日、読売新聞の朝刊に恒例の日米共同世論調査の特集記事が掲載されました。主筆がいつも強調していたのは「社会的に信頼される機関、組織で、新聞はトップクラスに入る」という部分でした。今回の調査をみると、日本の場合「①自衛隊、病院74%②裁判所、学校58%③地方自治体53④警察・検察52%」が上位で、新聞は7位の49%まで低下しています。