新聞の浮沈を握ったネット情報
30年間もトップの座にあった読売新聞主筆のナベツネさんに対し、毀誉褒貶、記者と政治家の一体化などの批判がある一方で、言論界、政界、スポーツ界などに残した足跡の大きさを、ライバル紙までが大々的に報道するという異例の波が起きました。
ほとんどのナベツネ論に欠落しているのは、紙媒体がネット媒体に主役を譲っていく歴史の流れの中で、新聞経営者としてどう対応しようとしてきたのか、どう対応していこうとしていたのかという視点です。このままでは、新聞はやせ細り、命運が尽きる新聞社が地方紙から増えてくるかもしれない。全国紙の中には、地方紙の部数にレベルに落ち込んでいく社もあるでしょう。「紙媒体の帝王」はどうしようとしていたのか。
「紙の新聞の社会的使命(取材・事実の発掘、ニュースの総覧性、それらの検証・解説など)があるから新聞社はなくならない。それらを代替できる組織・機関はない。紙はなくならない」という主張が聞かれます。「社会的使命がある」ことと「経営的に存続できるか」ということは別問題です。紙には多様な用途があり、便利な紙は今後もなくならないでしょう。それと「紙の新聞はなくならない」は別問題です。
ナベツネさんは「紙媒体の帝王」であり、紙新聞が情報媒体の主役であった時代が生んだ存在だと思います。ナベツネさんの全盛期は紙の新聞の全盛期でもありました。30年間も読売新聞のトップに座り、特に1000万部という巨大な部数を武器にして、政界に対しても大きな影響力を握り、また世論形成にも寄与する媒体でした。
社長車のナンバープレートも1000万部を模して「1000」にするなどしました。傘下の収めた中央公論社が優れた著作に与える「吉野作造賞」も「読売吉野作造賞」と改称したりしました。なんでもできた新聞の全盛期という成功体験、紙媒体であることによる自信から、ネット時代、デジタル時代への対応に気持ちが向かなかった。私の現役時代、紙への自信からかナベツネさんはパソコン、スマホを毛嫌いしていました。