「初心忘るべからず」の対義語

「初心忘るべからず」とはどんな意味?その由来は伝統芸能「能」にあり!?
(画像=『FUNDO』より引用)

ここからは「初心忘るべからず」の対義語を紹介します。

天狗になる

「天狗になる」は、得意になることや高慢になることを意味する言葉です。

思い上がって大きな態度を取ったり、横柄になったりすることを意味します。

端的に表現するなら、調子に乗っていることを指す表現です。
まさに初心を忘れてしまった状態を表す慣用句となります。

その点が「初心忘るべからず」と相反する言葉となるでしょう。

夜郎自大

「夜郎自大」は、自分の力量を知らずに威張っている者を例えた四字熟語です。

「夜郎」は中国漢の時代の西南の地にあった未開部族の国名を指します。
「自大」は自ら威張って尊大な態度や横柄な態度を取ることを意味します。

この言葉はかつて古代中国で栄えた夜郎という国の君主が、漢の死者に対して「自分の国と漢の王朝はどちらが大きいか」と問うたことから生まれた言葉。

転じて、自分の力量を知らずに威張っていることを表すようになりました。

その点が「初心忘るべからず」とは異なる意味の言葉と言えるでしょう。

野狐禅

「野狐禅」は、生かじりで自惚れている者を例えた慣用句です。

ちょっとしか禅を学んでいないにもかかわらず、深い境地に至って悟りを開いたような気になることを例えた言葉となります。

転じて、中途半端に学んで勘違いすることを表すようになりました。

その点が「初心忘るべからず」とは違う意味の言葉と言えるでしょう。