当初、除染作業で剥ぎ取られた土壌は、それぞれの地域の「仮置き場」に保管されました。仮置き場には学校の校庭の隅や地 域の空き地が使われました。当時、福島県内各地にフレコンバッグが積み重なった映像を記憶されている方も多いと思います。原発事故から時間が経過し、これらのフレコンバッグは福島第一原発近くの中間貯蔵施設に運び込まれています。
集約された除染土壌の総量は約120万立方メートルで、これは東京ドーム約11杯分に相当します。しかし、時間の経過とともにその放射線量は低下し、その四分の三はキログラムあたり8000ベクレルを下回っています。このレベルの土壌であれば、年間追加被曝量が1ミリシーベルト未満であり、安全性に問題はありません。
除染土壌の再生利用は福島の復興に不可欠除染土壌の一部は、福島県飯舘村の農地で活用されています。ただし、これは飯舘村で剥ぎ取られた土壌を再利用しているものであり、中間貯蔵施設から搬出された除染土壌が再生利用されているわけではありません。
一方で、中間貯蔵施設から持ち出された除染土壌も、官邸や環境省、自民党本部の鉢植えなどで再生利用されています。安全性に問題は生じておらず、自民党本部の鉢植えについては、今ではその存在を気に留める人すらいません。
中間貯蔵施設の土地は、原発事故の被害を受けた地元の皆さんから譲っていただくか、お借りしたものです。除染土壌の中で最終処分量をできるだけ減らし、それ以外の除染土壌については福島県内外で再生利用することで、中間貯蔵施設が設置されている場所を有効活用する必要があります。
しかし、福島県外での再生利用が進まなければ、全量を福島県内で最終処分するとの印象を与えかねず、県民の理解を得ることは難しいでしょう。福島の復興のために、除染土壌の再生利用の実現は避けて通れない道なのです。
これまでは環境省のみが対応してきましたが、新宿御苑や所沢市での再生利用は反対運動で暗礁に乗り上げています。