結果として、過剰な自粛・ワクチン政策から最大の被害を蒙った若年層は、メディアへの信頼を喪失し、リテラシーのあり方自体を変えてしまったように見える。
産経から朝日まで、幅広いメディアが一致した論調で報ずるのなら「本当だろう」と考える。これが従来のリテラシーだ。しかしコロナ禍の体験は、マスコミがみな同じ主張を言い出したら「逆に怪しい」と疑う感性を生み出した。
『正論』2025年2月号、138-9頁
それが様々な選挙での、「番狂わせ」の深層にある底流だと捉える視点は、今年のnoteで何度も書いてきました。
一方で、忘れるべきでないのは、次のことです。
気をつけたいのは、みんなが同じことを言い始めたら「警戒する」懐疑心自体は、ポピュリズムや全体主義を防ぐ上で健全なものでもあることだ。専門家の主張でも鵜呑みにせず、一度は疑って調べる「反知性主義」が、実際には知性の証明なのと同じである。
問題はそうした現状への不信が、特定の「推し」なる少数者への依存に帰着する点にある。市民どうしが互いに信頼し、議論しあうのではなく、「カリスマの躍進を自分の躍進だと錯覚して、自己実現します」というあり方はカルトであって、民主主義ではない。
139頁
この国で広がるニヒリズムには、理由がある。散々まちがった民意を煽った人たちが、いまごろ焦って「ネットを信じる若者はバカ。伝統と信頼のオールドメディア!」と叫んでも、失った信用は戻ってきません。
一方で「マスゴミ」を疑うことを覚えた若年層が、より怪しい詐欺師をネットで見つけて「推し」始めるだけなら、状況はもっと悪化する。それならいったい、どうすればいいのか?
答えとまではいきませんがヒントは、論考の末尾にしっかり記せたと思っております。2025年を希望のある年にするために、ぜひ年越しには最新号の『正論』を、手繰っていただければ幸いです!
参考記事: