現代人ならば、イエスが聖霊によって誕生したという話より、ザカリヤとの間の子供だったというナラティブのほうがより理解できるだろうが、イエスが誕生した時代、イエスがザカリヤとマリアの間の子供だったということが分かれば、マリアばかりか、祭司長ザカリヤもユダヤ社会から迫害を受けることは必至だ。聖書の書き手はそれゆえに、「マリアは聖霊によってイエスを宿した」というナラティブを考え出したわけだ。
誤解を避けるために説明するが、イエスがマリアとザカリヤとの間の子供だったということは、イエスのメシアとしての使命や価値を引き下げるものではない。「マタイによる福音書」にイエスの家系図が記述されているが、その中に妾の女性の名前が登場しているのだ。聖書学者たちはその事実をどのように受け止めているのだろうか。
イエスの誕生を祝う日にこのような話は好ましくはないが、イエスの33歳の生涯には多くの謎があるのだ。なぜ洗礼ヨハネは最初はイエスを神の子として証をしながら、最後には「『きたるべきかた』はあなたなのですか、それとも・・」(「マタイ11:3」と問わざるを得なくなったのか。イエスと洗礼ヨハネの父親ザカリヤは「その後」、どのような生き方をしたのだろうか。イエスを人類の救済者といいながら、私たちはイエスのことをほとんど何も知らないのではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。