聖書の書き手は、洗礼ヨハネの誕生時の奇跡を記述することで、洗礼ヨハネが来るべき救い主の前にたってメシアの証人としての使命があったことを予示したわけだ。エリサベツが洗礼ヨハネを身籠っていた時、ザカリヤ家にマリアが訪問してくる。「ルカによる福音書」によれば、エリサベツは聖母マリアの「親戚」と記されている(ルカ1:36)。そのため、ザカリヤ家はマリアと血縁的なつながりがあると考えられている。ただし、具体的にどの程度の親戚関係かは明示されていない。伝統的な解釈では、エリサベツとマリアは「遠縁の親戚」と見なされる。ユダヤの家系では、親族の範囲は広く捉えられることがあるため、詳細な血縁関係は分からない。
エリサベツの妊娠中、ザカリヤとマリアの間でイエスを宿したのだ。聖書の書き手はその後、「マリアは3カ月間、エリサベツのもとにいた後、戻っていった」と書いているだけだ。ザカリヤについてもその後、一切の言及がない。そして聖書の書き手は「マリアは聖霊によって子を宿した」と述べ、救い主イエスが処女マリアによって誕生したというナラティブを生み出していったわけだ。
英国の著作家マーク・ギブス氏は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で、「イエスの父親は誰か」を解明している。ギブス氏は「キリスト教会でいわれてきた聖母マリアの処女懐胎は後日、イエスの神性を強調するために作成されたもので、実際は祭司長ザカリヤとマリアとの間に生まれた子供であった」と主張。新約聖書「ルカによる福音書」を中心にイエスがどこで、どのようにして生まれたかを冷静な筆運びで記述している。
イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていたという。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリヤは殺される羽目に追い込まれたという。著者は「ザカリヤ家庭の失敗がイエスに十字架の道を強いる結果となった」という。換言すれば、イエスは十字架で処刑されるためにきたのではなく、この地上に神の世界を構築するためにきたこと、イエスの十字架は神の予定ではなかったこと、等が明らかになってくる(「イエスの父親はザカリヤだった」2011年2月13日参考)。