副柱
支えとして機能するのはあと三本ある。一本はこれまで見た収奪の柱。あとは、
① 労働力の再生産、それにかかわるケア労働(ほとんどが女性に任される)
② 環境、自然、エネルギー。
両者は資本にとって費用なのに満足に支払わない。なぜそうかといえば、メインの領域の”利潤第一“があるからだ。人の再生産は家庭に任せ、自然はタダで壊しても補填・修復しないのである。
③ 公共財。これには、法的秩序、反乱を鎮圧する力、インフラ、マネーサプライ、その他の危機対応メカニズムが含まれる。(フレーザー、P.243)
特に強調しているのはケア労働なので引用する。
「生産的とみなされている賃金労働も、そこから引き出される剰余価値も、ケア労働なしには成り立たない。家事、子育て、学校活動、愛情のこもったケア、それらに関連するさまざまな労働があってこそだ。資本主義社会の経済活動にとって、社会的再生産は必須の前提条件なのだ。」(フレーザー、P.105)
現在、日本で話題になっている少子化現象の背後にケア労働の危機があるのは間違いない。
対抗ヘゲモニー副の柱はそれぞれ危機なのだが、一本一本に目を奪われてはいけない。
よく見られるのが、環境だけにとらわれてはいけない。“環境守れ”は反資本主義の部分スローガンである。資本主義は生態学的矛盾を内包しており、それが発現したのが環境問題だ。だから、「資本を手なずければ地球は救える。だから、資本主義を廃止する必要はない」という富裕層の、環境主義に惑わされてはならない。
広い社会主義では、どうするのか? 第6章がこの問いに答えている。
広い概念でとらえた資本主義に対峙するのは広い社会主義だ。生産過程の中での労働者への搾取の廃止だけでなく、四本の副の柱の立て直しという課題が加わる。
解説が必要だ。フレーザーはここで社会主義という言葉を使っている。でも、それが「バツの悪いもの…忌むべき失敗、過去の遺物」(フレーザー、P.228)であることは十分認識している。
彼女は、アメリカ民主主義の上に構築される新たな社会主義をイメージしている。それは日本の知識人が持っている社会主義とは違う、解放された概念である。アメリカではバーニー・サンダースのような人まで社会主義者なのだ。彼は自らそう名乗って大統領候補として戦い、かなりの支持を集めた。
新しい社会主義は「生産手段の社会的所有だけでは十分ではない」(フレーザー、P.239)、既存の社会主義に何かを付け加えるのではなく、全体が新しいのである。先の引用に続けて言う。
大がかりな仕事「私たちの時代の社会主義は、資本による賃金労働の搾取だけを克服すればいいのではない。無償のケア労働、公的権力、人種差別されるものや、自然から収奪した富に、ただ乗りすることも克服しなければならない。」(P.239)
広い概念でとらえたものを実現するとなれば、当然ながら「きわめて大掛かりな仕事になり、そのためにはおびただしい人たちの協力が必要になる。」(フレーザー、P.253)。
舞台は主柱の内部、つまり労働運動だけではない。ここで、示唆的な提案をする。
一つは、資本主義から受け継ぐもの、すなわち、制度,装置を意識する。これは、『The Next』で私が強調したことでもある。
「私たちは資本主義社会から受け継ぐ制度の境界を新たに思い描くことができ、また思いつくべきである」(P.255)
二つ目。それは優先順位。「人々の養育、自然の保護、民主的な自由を社会の再優先事項と位置つけ、効率や成長よりも重視する」(P.255)、そして社会の将来を決める重大な決定、すなわち制度設計のプロセスを民主的に「私たちが決めるべきだ。」と結論する。
ドメインの変更は自分たちの手で、例えば社会的余剰の使い方。それを必ず成長に回さなくてもよい。つまり成長を非制度化するのだ。
市場について私(濱田)は、今のところ市場に勝る価格の決定機構はないので、『The NEXT』でも、それは残すことになるとした。
フレーザーは同意見で、さらに進め言う。市場にはヒエラルキーがある。最上位から最下位、そして両者の中間に分ける。最上位では社会の余剰の処分を決める。国の方向を決めるとき市場の判断を頼りにしない。同じことを最下位でも主張する。
ここは基本ニーズにこたえるところで、「雨露をしのぐ家、衣服、食料、教育、医療、交通、通信、エネルギー、余暇、清潔な飲み水、汚染されていない大気」(P.261)は市場に任せない。人々の基本ニーズを満たす使用価値は商品であってはならない。
さて、中間の市場とは何か? それは様々な可能性を持つ実験場で、いわゆる市場が成立しうる場所である。社会主義者はこのことに心配を寄せるかもしれないがその必要はない。というのは、「最上位と最下位が社会化されて脱商品化すれば、中間の市場の機能と役割は変化する」(P.262)からである。
本稿の最後に、フレーザーを参考にしたら、日本の将来について何が言えるかを、考えておきたい。
日本の新しい社会主義ソ連型の社会主義は早産であった。合田寛は、こう言い放ってから次のように言う。
21世紀の社会主義は、資本主義の胎内で十分に成熟した胎児が、新たな生命を吹き込まれ、民主主義のゆりかごで育まれる「新しい社会主義である」。(合田寛、「新しい社会主義の課題」、『政経研究時報』、26巻4号、2024年3月)
産婦人科の医者が聞いたら首をかしげる文章だが、気持ちは伝わる。
合田の考える基本フレームワークは次の四つの要素からなる。
① 生産手段の社会化 ② 労働者の参加 ③ 市場機能の活用 ④ 政府の積極的な役割
①は社会主義を主張する人に共通する。②で合田はドイツの労働者参加を例に挙げる。
しかし、そうなるためには労働側に相当な知識と経験がいる。経営は一種の技術であり、経営者は専門家である。それに交じって意見を述べる。企業はグローバル競争にさらされているから、なおさら難しくなる。
③の市場機能を残す、利用することには、合田は注文を付けている。
「市場社会主義における市場は、資本主義的市場経済とは異なり、それを社会主義にふさわしく再編した市場である」。
“ふさわしい”とはどういう状態なのか、どう再編成するのか? そこを聞いてみたい。
『The Next』で紹介したコルネオとか、ここで検討したフレーザーは、具体的に提案している。現代の株式市場でビッグスリーと呼ばれる機関投資家の勢力が大きいこと、日本でもGPIF、そして知らないうちに日本銀行が最大株主になったことが、大きな問題であることは、私も含めて大方の論者が指摘している(『The NEXT』、第9章)。
悩ましいことだが、公的所有がして私的所有より良いということは、マルクスの命題にもかかわらず、歴史上、これまでは証明されていない。
④も行き過ぎれば、ソ連型に戻ってしまう危険がある。現在でも、政府は大資本の危機を救うほど強力なのである。政府機能の、どこを削り、どこを拡大するか、統治はかくあるべしという哲学を示して議論する必要があるだろう。
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『The NEXT──資本主義の次の時代を描く』
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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