冒頭に貼ったアベマの番組で、クルド人当事者として出演されていたユージャル・マヒルジャンさんが、2022年のトルコ地震後1500人ぐらい一気に川口にやってきて、彼らは日本の風習にも馴染めていないから問題を起こす人もいる…みたいな話をシレッとしてたんですが、いやいやちょっと待ってくれと(笑)

いまいる人口を、どうやって「馴染んでもらうか」という話をしている時に、そんな無制限に次々と入ってこられても困りますという話がありますよね。

主権国家として「どこかで線を引かなくてはいけない」としたら、そこに引くのはリベラル側としても大枠は理解可能なことなのではないでしょうか。

そして「ちゃんと日本社会と相互理解を深めていく」プロセスが進行すれば、もう少しは受け入れてもOKという形に持っていけるかもしれないね、という形で合意形成していくのがいいのだと思います。

そういう方向で「際限なく開いている国境をキチンと管理するようにする」ことと引き換えに「正規の滞在許可」を出していくことは、多くの場合すでに滞在しているクルド人側にとっても望むところでしょうし、結果として川口市に住民税も入るようになりますし、健康保険に若い労働者が沢山入る事は日本の財政的にも望ましいことでしょう。

6. 「アメリカの場合とは違う」という理解が必要

ここ以後は、よりこの問題を本質論的に深堀りした話をします。

これは橋本先生と対談のしごとをした時にお聞きしたんですが、英語圏の移民っていうのは「言語習得」のバーがそれほど高くないからそれほど意図的・強制的に包摂しなくて済むんですが、英語以外の国はかなり必死にある程度強制力を持ってその国の言語を学んでもらう施策をやらないといけないというのは、移民問題の専門家の間では徐々に共通の認識になってきていいるそうです。

スウェーデンなんかは、当初「スウェーデン語を無理強いするのは良くない」みたいな理想主義を試していた時期もあったそうですが、余計にその移民層が社会から孤立して大問題になったらしい。

英語圏じゃない国においては、むしろ必死に「おせっかい」をしてその国の言葉と風習を学んでもらう事が必要ってことなんですね。

そのあたり、「アメリカ」の場合の例で他の国の事例を断罪するのは「強者の論理」にすぎない・・・という理解が必要なのだと思います。

SNSでは、「日本に馴染んでもらいたい」という右翼さんの意見に対して、「アメリカやカナダにおける公式見解」みたいなものをぶつけて否定するリベラルの人がいるんですが、そういうのは人類社会における移民問題を最前線で理解している人たちの目線からすると無理がある発想なのだという事は知っておくべきだと思います。

例えばこういう論争ですね↓

米山氏が反論している相手の人のような「右翼的な言い方」をそのままヨシとしろという話ではないんですが、アメリカでそれが成り立つのは「英語とアメリカ文化」のデファクトパワーが圧倒的だからなのだ、という部分を割り引いて見る必要はある。

日本の場合は日本語という特殊言語を学んでもらわないといけないし、世界中に敷衍しているアメリカ文化と違って日本人の行動様式は暗黙的な部分も多くて学んでもらうのにコストがかかる。

ここで、「いや!明文化されたルール以外一切認めないぞ!それを要求するのは差別なのだ!」みたいな原則論を突っ張るのは、スウェーデンがスウェーデン語の強制をためらった結果余計にゲットー化が進み、後の排外主義の火種になってしまった意味で『逆の意味で差別主義』的な要素があるんですよ。

この点でも「右翼さんの警戒意識」に対して、「リベラル的にOKなやり方でキチンと受けて立つ」ようなリベラルが必要なんですね。

7. 「NIMBY的欺瞞」を決して許さない、日本ならではの外国人との共生を考えるべき時

「NIMBY」=”Not In My Backyard”という言葉があって、これは(移民問題に限らないですが)

「リベラルの原則論」に現実的な理由から反対する人たちを全員『この差別主義者め!』と糾弾しておいて、その実害が自分自身に及ぶとさっさと逃げちゃうような欺瞞

…をさす言葉です。

移民問題に関していえば、

・移民に対するいかなる制限も許さない。国家権力の横暴反対! ・治安が悪い地域に対して警察力をちゃんと通用させようとする試みにも心情的な理由で反対する(アメリカのBlack Lives Matter運動のうち一部過激派が主張する”警察予算を打ち切れ!運動など)

…みたいな姿勢を取って「いかに自分は高潔なリベラル精神を持っているか」をSNSでアピールするのは忙しいけど、

・いざ自分の家の近くに移民の集団や低所得者層が住み始めて治安が悪さを感じるようになったら、シレッと自分はもっと家賃が高くて安全な地域に引っ越しちゃう(結果として家賃の安い地域に住まざるを得ない人が治安悪化の問題を自身で引き受けざるを得なくなっちゃう上に、富裕なインテリどもに上から目線で倫理マウンティングされてウザいという反発が募る)

…こういうのが”NIMBY問題”ですね。(俺は別に金持ちじゃねーぞ、っていうインテリの人も、”最も治安悪化の影響を受ける”ような場所に住んでいたりすることは相当レアなことでしょう)

こういう欺瞞を放置すればするほど、トランプムーブメントみたいなのは止められなくなる…ということを、過去20年の人類社会は学んできたところがあるわけですよね。

BLM的な問題意識やアメリカの警察の中にかなり無茶なことをする人がいることへの対策はもちろん必要ですが、じゃあ「警察」自体を敵にして否定していくのは単なるインテリの自己満足に過ぎず、「治安があまり良くない地域に住んでいる(多くは)マイノリティ」からしても支持できるものではない欺瞞がある…というのは最近アメリカでも徐々に指摘されるようになっていますよね。

ヨーロッパの方も今や極右政党が支持を伸ばしていない国の方が珍しい状況になっていて、ドイツでは支持率がすでに2位にまでなってるAfDが、「アフリカ北部にモデル国家を作り200万人を強制移住させろ」とかいう”文字通りナチスレベル”のプランを党内で議論していたと問題になっています(さすがSNSで誉れ高い”人権と正義を愛する高潔なドイツ国民”さんは発想が半端ねえっす!)。

過去20年の「欧米の失敗」というのは、こういう「NIMBY」問題を放置したまま綺麗事を主張する空疎な倫理マウンティングみたいなのを無駄に称賛しすぎたことで、既存社会との丁寧な共生プランを作っていくような地道な作業をバカにしてきた事にあるわけですよね。

ここで「一歩踏み込んで受けて立つリベラル」を生み出していくことは、

「現実の社会問題で苦しんでいる人々を、単に自分個人の抽象的な思想を展開するための”ネタ”としか考えていない20世紀型知識人の欺瞞」に対する最新のレジスタンス運動

…的な意味を持っているわけです。

さっきも述べたように

「移民との共生を具体的に行おうとする現場レベルの積み重ね」

…には、

「アメリカ型のリベラルの原則論」からいうと間違っているように”見える”

…ものが含まれてるんですが、

むしろそこにちゃんと踏み込んでいくことが、「今の時代の責任感あるリベラルの姿勢」なのだ、という理解が必要な時

…なんですよ。

このあたり、「脊髄反射的なリベラルの発想」と「世界の移民問題の現実」はかなり乖離しており、橋本先生のような当該分野の専門家の知見をベースに対処を行っていくことが重要です。

その「脊髄反射的なリベラル心情」と「世界の移民問題のリアル」の間のギャップについては、橋本先生と昨年対談した記事でかなり詳細に語られていて好評価をいただいていますので、よろしければ以下の三回連続記事をお読みいただければと思います。

SNSで「敵」の悪口を書き連ね、仲間内だけで褒め合っているだけでは無意味 「本当に社会を変える」のに必要な戦いとは何か?倉本圭造×橋本直子対談(前編) 人権先進国の北欧で「極右」が台頭するワケと、日本が目指すべき外国人との共生ビジョン 倉本圭造×橋本直子対談(中編) SNSで吹き荒れる「川口市のクルド人問題」を「体感治安」から捉え直す 倉本圭造×橋本直子対談(後編)

「一周前の欧米の失敗」がどこにあったのかをちゃんと理解したうえで、「NIMBY的欺瞞」を放置しないで現場レベルでの丁寧な共生策を行っていく人たちを徹底してエンパワーしていく事が大事なんですね。

8. メタ正義的に「受けて立つ」リベラルを育てていこう

SNSでは「ボクがいかに倫理的な存在で日本はいかに人権と人間の尊厳を理解しない地獄なのか!ああ!恥ずかしい!地獄だ!」を毎日色んな言い方でアピールするのに忙しい暇人も沢山いますが、そういうのは「現実に対して具体的に対処していく責任を放棄している」という意味では「ガイジンどもを叩き出せ!」って叫んでいる人たちと同レベルの存在なのだという理解が重要です。

一方で、橋本先生をはじめ、長年現場で手弁当で日本語を教えて来たボランティア教員の方々や、川口市で実際に実務を取っている人たちは、大枠として「正しい方向を向いている」と自分は感じています。

「リベラル的に守るべき一線」を外さないようにしながら、右翼さんからの要求にもちゃんと応えられるような具体的な策を一歩ずつ打とうとしているのは評価できる。

つまり、SNSで吹き上がる「排外主義」的なムーブメントは、

「そこに対処するべき課題がある事を知らせてくれる」

…という意味においては100%正しい。それを否定してはいけない。

ただし、その「対処のやり方」においては、21世紀の先進国として「やっていいことと悪いこと」の一線というのは当然あって、それを守りながらやっていく試みが求められる。

こういう「発想」のことを、私は「メタ正義的な解決」と呼んでおり、詳しくは以下の本などをお読みいただければと思います。経営コンサル業の中小企業クライアントで、この10年で150万円ほど平均給与を引き上げられた成功例などから、大きな社会問題にいたるまで、”メタ正義的”な発想で解決を目指す方法について書かれています。

『日本人のための議論と対話の教科書』

「川口市のクルド人問題」に対する「メタ正義的発想」とは、「右翼さんが言っている内容」をそのまま受容する必要は全くないが、右翼さんがSNSで盛り上がっているという現象の『存在意義』には徹底的に向き合う必要があるということです。

つまり、「右翼さん側のメッセージ」を、「本質レベルで真っ向から受け止めて具体的な対策を積んでいく」リベラルのあり方を後押ししていくことで、この川口市のクルド人問題は本当の意味で解決していけるようになるわけですね。

そういう「受けて立つリベラル」をちゃんと育てていきましょう。

一方で、右翼の皆さんは、「まだまだ足りないぞ」とあなたが素直な心情として思う分には突き上げていくのもあなたたちの役割ではあるでしょう(とはいえ、あまりに”ガチな差別的発言”をすればするほどあなたたちの望みは余計に遠ざかるのもご注意ください)

さいごに

全体として今までの日本の移民政策というのは、「建前として一切ガイジンを入れたくない」という志向と、「実態として外国人なしに現場仕事がすでに成り立ってない」という現実の間で物凄くナアナアに抜け穴だらけの制度を運用して、その制度の狭間に落ち込んだ人たちがヒドイ目にあうような状況が続いてきたところがあります。

だから現状「不法滞在」になってしまっている外国人がいたからといって、単にその事だけを持って「強制退去」させるのが人道的に難しい側面も出てきてしまっている。

だからこそ、「ちゃんと正規のしくみを実態に合わせて運用できるようにしましょう」という流れが今起きてるんですね。

例えば昨今ではこういう施策↓も行われる方向になっており、国として真正面から「来て欲しい人を選び、ちゃんと正規の制度を持って接遇する」国家の主体性を持とうとする流れにはなっている。

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討

私の経営コンサル業のクライアントの建設会社の経営者が言ってましたが、すでに「現場仕事」レベルの話でいえば外国人なしに日本の経済は成立しないようになっています。

「SNSの愛国者さま」がいくら大騒ぎしようとそういう人がちゃんと現場で汗をかいて仕事をしてくれるわけではないのでしょうがないじゃん、という側面も明らかにある。

欧米のリベラルの公式見解が陥りがちな「NIMBY的欺瞞」を徹底的に克服し、きちんと「日本的生活様式」に馴染んでもらう施策を適切に一歩ずつ行っていきさえすれば、そして「日本人以外のルーツのラッパー」「日本人以外のルーツのお笑い芸人」が普通にお茶の間に受けいられれる流れを丁寧にエンパワーできれば、それは少子高齢化に悩む日本にとっても大変重要な戦力になってくれるでしょう。

「際限なく呼び寄せる」はやめてもらいつつ「文化統合策をキチンと行って」いき、「条件を満たした人には正規の在留許可を与えて納税もしてもらう」流れを作りつつ、「凶悪犯罪を起こす」ようなことがあれば厳格に退去してもらう。

そういう「主権国家が持つ責任ある振る舞い」を、「20世紀的な紋切り型の右と左の罵りあい」から分離して適切に施行していけるように持って行くことが、「問題解決」のための唯一の道だということですね。

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここからは、もう少し本質論的に、「今の時代に本当にリベラル的な理想を追い求めるのに必要なこと」みたいな話をしたいと思っています。

橋本先生とお知り合いになったのは上記のウェブメディアでの対談記事の仕事がきっかけだったんですが、当時入管法改正問題があった時に、橋本先生と連携した野党議員が自民党と折衝してできるかぎりリベラル的な理想も実現できるような代案を用意していたところ、一部の左翼層がそれを「裏切り」として問題視して潰してしまったため、結局むしろ余計に「最もタカ派」な法案が通ってしまったという顛末があったんですね。

その顛末について怒りを込めて橋本さんが書かれたこのForbsの記事が物凄い印象的で、これを僕が紹介したツイートが凄くバズって、その後直接やりとりさせていただくことになったんですが。

つまり、当時の橋本さんは「最も左の層」から裏切り者扱いされ、「色んな友達がいなくなった」そうですし、また今は「最も右の層」からSNSで「敵」扱いされてるわけですね(笑)

でもなんかこの「一番右と一番左にめっちゃ嫌われている」っていうのは、今の時代「本当にリベラル的理想を実現しようとする」ために物凄く重要な要素なんじゃないか?って思うところがあるんですよね。

折しも、今のアメリカでミュージシャンのテイラー・スウィフトが、「最も右と最も左に嫌われ」つつ、でも「リベラル寄りだけどトランプ派からも一目置かれている唯一の存在」みたいになっているという話をXポストに書いてかなり読まれたんですが…↓(クリックすれば全文読めます)

これも「同じ構造」だろうと思うんですよ。

こういう「本当のリベラルの道」というのは、「政治的党派性」よりも先に「80億人とかいる生身の他人」をちゃんと「他人として尊重して」認知してるところがあるんだと思うんですよね。

「なぜそういう事が必要な時代になっているのか?」とか、上記のスーパーボウルにおけるテイラー・スウィフトの振る舞いから垣間見える「アメリカの今」とか、「20世紀的な知識人の欺瞞へのレジスタンス運動」が始まっているのだ、という話とか、そういう諸々について語ります。

あとお前橋本先生のファンすぎるやろ、って感じですけど(笑)、対談の時に橋本先生が一橋大学の門番のオジサンと話してるところを見たら「誰に対しても平等に敬意がある振る舞い」でめっちゃ良かった、という話もします。

やっぱそういう「人生に対する態度」「他人に対する態度」の延長に、「政治的姿勢」が自然に連結されていることが今後の時代は大事なんだと思うんですね。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。

編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年2月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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