親殺しに対する刑罰ポエナ・クルレイの歴史

蛇、犬、猿、鶏とともに“親殺し犯”を袋詰め…古代ローマの悪名高い刑罰「ポエナ・クルレイ」 とは?
(画像=画像は、「YouTube」より、『TOCANA』より 引用)

 ポエナ・クルレイは、親殺しで有罪判決を受けた者を数匹の生きた動物とともに袋へ入れ、水中に投げ込む刑罰である。その起源は王政ローマ時代にさかのぼるとされる。もともと袋に入れられる動物は蛇だけだったが、2世紀の皇帝ハドリアヌスの時代には、蛇に鶏、犬、猿も刑罰に加わった。

 王政ローマ最後の王ルキウス・タルクィニウス・スペルブスの治世下、司祭のマルクス・アティリウスが、シビュラ(アポローンの神託を受け取る巫女)の信託をまとめた『シビュラの書』の守護を任されたが、その信託の一部を暴露した。同書はローマが困難な状況に直面した際に参照される神聖な書物で、これを一般公開することは決して許されなかった。有罪判決を下されたアティリウスは、縫い付けられた袋に入れられ、海に投げ込まれた。

 一方、息子が自らの父親を殺害したというローマ史上初の事件については、帝政ローマで活躍したギリシア人伝記作家プルタルコス(46~120年後頃)が自著の中で言及した。これによると、第二次ポエニ戦争(紀元前218~201年)の後、ルシウス・ホスティウスという名の男が父殺しを行ったという。しかし、プルタルコスは、ホスティウスがどのように処刑されたか、そもそもローマによって処刑されたかのかどうかさえ明示していない。さらには、当時は親殺しも通常の殺人ととほぼ同じであったと指摘する。

 ポエナ・クルレイが親殺しとどう関係するのかは不明である。後の学者たちは、ポエナ・クルレイが後世でたまたま親殺しの刑罰として利用されただけに過ぎない考える。

 3世紀~4世紀初頭は刑罰して採用されなかったポエナ・クルレイだが、コンスタンティヌス1世はこれを復活させた。このとき袋に入れられたのはヘビだけだった。6世紀の皇帝ユスティニアヌス1世の時代から蛇、鶏、犬、猿が再び袋に入れられるようになった。その後400年間、ビザンチン法では、ポエナ・クルレイが親殺しに対する法定刑であり続けた。

 ポエナ・クルレイは中世後期から近世初期、ドイツ・ザクセンで復活した。ドレスデンに残る記録では、犯罪者の苦痛を長引かせるため、防水処理を施された革袋が使用されたという。革袋は水に当たると破裂して動物たちは逃げられたが、犯罪者は縛られていたと考えられ、最終的に溺死する仕組みだった。最後にポエナ・クルレイが行われたのは18世紀だったとされる。