人類は、犯罪者を罰する方法に発明において、並外れた想像力を発揮してきた。特に古代ローマ人は、演劇的な手法を用いて犯罪者を拷問して処刑したことで悪名高い。悪名高い例の一つが、親殺しの罪で有罪判決を受けたものに対する「ポエナ・クルレイ(袋の罰)」である。

古代ローマでは親殺しが重大な犯罪だった

 古代ローマでは、親殺しは特に重大な犯罪と見なされていた。というのも、当時の社会の基本単位が家族だったからである。家族はメンバーを組織するだけでなく、養子縁組を行った者や使用人さえも組織する巨大な機関であり、家父の絶対的な権力下にあった。家父は自分に依存する全員の生殺与奪を握っていた。したがって、家父を殺すことは、個人的にも社会的にも残虐な行為であるとされ、国家も親殺しには厳格に対処しなければならなかった。

 紀元前5世紀に古代ローマで初めて定められた成文法「十二表法」では、子供による意図的な親殺しが定義された。後にこの定義が拡張され、加害者には、子孫だけでなく他の親類も含まれるようになった。また、被害者は、血のつながった親から継父母、祖父母、兄弟姉妹、叔父、配偶者、いとこ、義理の息子や娘、さらには雇用主にまで広がった。

 親殺しで有罪判決を受けた者は、単なる犯罪者ではなく、神々すら忌避する汚らわしい存在と見なされた。犯罪者の身体からは瘴気が放たれて他者に感染すると考えられたため、特定の方法でその毒を除去しなければならないと考えられた。また、親殺しは、残された家族が補償を得られなかったこともあり、通常の殺人よりもはるかに重大だった。