また足に巻く布の材料となっている木綿の生産が広がると農村部にも浸透し、清代末期まで広範囲で続きました。
廃止への道は19世紀末から始まりました。
変法運動(清末期に行われた、西洋の制度を学んで中国の制度も改革しようとする運動)を機に士大夫(中国の知識階級)たちが纏足を批判し、康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)が設立した不纏足会が声を上げたのです。
中華民国時代には孫文や蔣介石が禁止令を出し、西欧的価値観が「時代遅れの伝統」に終止符を打つ助けとなりました。
さらに戦乱や文化大革命を経て纏足は完全に姿を消したのです。
こうして、中国の「小さな足」は歴史の彼方へと歩み去ったのです。
理想の足のサイズは9センチ
それでは纏足はどのように行うのでしょうか? 纏足の方法は、幼子の足首を布で固く縛り、無理やり成長しないようにして変形させるものです。
なんと理想のサイズは三寸、わずか約9センチ。
甲高を折り、指を押し曲げ、時には骨を砕くという壮絶さ。
美の追求とはかくも過酷なものでした。
そんな悲劇の足を飾るのが「纏足靴」です。
これがただの履物ではないのが面白いといえます。
絹や綿を基調に、色鮮やかな刺繍が施され、履く者の品格を表す芸術品となりました。
靴作りは代々受け継がれ、婚約の贈り物に使われることも。
靴のデザインには家族の愛や祈りが込められ、女性たちのコミュニティで特別な意味を持っていたのです。
纏足の痛みの影には、この靴のように華やかで繊細な物語が広がっていたのです。
憧れと嫌悪が入り混じった、女性たちの纏足観
このように纏足は物凄い痛みを伴うものであり、女性に対する負担は重かったのです。