非常に簡略化していえば私の見立てる人間の金銭欲というのはこのようなものだろうと察しています。唯一の違いはこのコップの大きさであります。ある人の金銭欲はひと息で飲める180mlのカップ、ある人はミルクピッチャーサイズであるわけです。ミルクピッチャーの欲望の人にミルクが半分しか入っていなければ「もっと欲しい」と思い続けます。
ではここで質問。大きいミルクピッチャーの人はその金銭欲で何を得ようとしているのでしょうか?こんな質問をすると「お前、馬鹿じゃないの?欲しいものなんていくらでもある」と言われそうです。確かに賃貸アパートより眺望の良い超高層マンション、軽自動車よりベンツ、ユニクロのダウンじゃなくてモンクレールを着たいとかあるでしょう。でも私にはそれは足が地についていない浮ついた消費を個人の価値観というより他人との比較の中で欲しているように感じるのです。
コロナの時、化粧品や衣服の売り上げが落ちたのは「他人の目」消費がなく、本質消費になっていたとも言えないでしょうか?
私は飛行機はいつもエコノミークラス。しかも大学生が買うような一番安いチケット(今はエコノミークラスも3段階ぐらい価格差があります。)です。「お前、たまにはビジネスとか乗りたくないの?」と言われれば「ただなら乗ってもよいが4倍のお金を払う価値を見出せない」と答えます。JRのグリーン車料金は付加価値に対して妥当だと思うので喜んで払います。
つまり私の場合は他人の目なんて全く気にならない、あくまでも自己の信念に基づいてのみ、消費活動をします。その中で自分の価値観を満たすために必要なお金はどれぐらいかということはもう何十年も家計簿を通じて月々すべての消費額を把握しているので「これぐらい」というものがあるのです。
バブルが崩壊した頃、日本では高額ブランドもの消費志向から自分の身の丈消費に変わりました。(いや、変わらされたというべきかもしれません。)これはある意味、多くの日本人を目覚めさせたのです。「他人の目じゃない、自分の目だ」と。これは多くの日本人がお金にとらわれ過ぎない幸福を追求するようになったきっかけだと思います。