また、ある日の編集会議で、「夏休みに入るので、どの本を持参するか考えている」といい、結局、なんとヒトラーの「我が闘争」にしたというのです。見せてくれた「我が闘争」はボロボロになりかけ、セロテープを張りつけ、かろうじて本の体裁を保っていました。
わたしはまだ中央公論新社にいましたので、直ぐピンときて、帰りに丸の内の書店により、「我が闘争」を探しました。見つけたのは文庫のコーナーで、角川書店が上下2冊で出版していました。それを買い求め翌月の会議の際、同氏に差し上げました。「これは助かる」と喜んでくれました。
「我が闘争」は、20世紀最大の独裁者ヒトラーによるナチスの聖書と言われます。自らの政治手法、政権掌握の手法、群衆心理についての考察、プロパガンダのノウハウなど、独裁者が語るべき政治哲学を買いています。側近ゲッペルス宣伝相の「嘘も100回つけば真実になる」などの著作も読んでいたに違いない。
ヒトラーはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)、反ユダヤ主義の信奉者ですから、ナベツネさんがそこにひかれることはあり得ない。「独裁者ならどのような政治手法で権力を強化、維持していくか」は参考になると考えたに違いない。目標1000万部を達成するには、大衆に対する宣伝活動に類する手法が必要だと思っていたのでしょう。政界に影響力を持ち、キングメーカー的な活動をするにも、ヒトラーの権力手法は参考になると考えたとしても、おかしくはないのです。
ジャーナリストを目指すなら、権力とどのように対峙するかが主題で、社内で権力を握ろうと思って、入社してくる人はまずいないでしょう。それに対し、多くのインテリが共産党にひかれたように、ナベツネさんもある時期に党員となり、共産党風の権力闘争、権力の掌握手法を学んだに違いない。しかも、政治記者の道を歩んだから、政治権力への接近、影響力の行使の手法を研究したのでしょう。
それも戦後の混乱期で、政界に人材が乏しく、政治家も記者との接点を求めた時代でした。そうした時代がナベツネさんのような政治記者が多かったに違いない。有力政治家の主筆室への訪問も喜んでいました。それを錯覚して、戦後派記者のマネをする記者が絶えません。