恐れられる君主になれと

読売新聞主筆の渡辺恒雄氏が98歳で死去しました。すでに人物の大きさ、政界に対する影響力の大きさ、ジャーナリストとしての評価の仕方など、評伝が溢れかえっています。

読売新聞社でナベツネさんに直接、接する時期がありました。ナベツネさんは活動領域が広く、その全容を追うことは私はできません。印象に残ったごくわずかエピソードをお伝えすることも、なんらかのお役に立てると思い、書くことにしました。

読書家だった同氏は、書店にいくと関心のあるコーナーに行き、しばらく本のタイトルを眺めています。選んだ1、2冊を買うのではなく、店員さんを読んで「両腕を広げ、ここからここまで買いたい」と告げ、用意された台車の手押し車に何十冊も乗せ、地下の駐車場まで運び、トランクに積むのです。

店員さんも手慣れた様子です。「ナベツネさんは、何冊とかではなく、本棚の横の長さで本を買う。その長さは例えば1メートルに及ぶ」と言われていたそうです。本好きの同氏は、1999年、経営が行き詰まった中央公論を支援することになり、営業譲渡を受け、中央公論新社として、再出発しました。事実上の倒産で、再建のために読売本社から私を含め何人かが派遣されました。

本社における編集会議に毎月私も出席し、出版状況、経営状態を報告していました。再建が軌道に乗り始め、かつて連続出版していた古典の名著シリーズを「中公クラシックス」として復刊しました。

ある月、マキャベリの「君主論」を出版し、編集会議で紹介すると、同氏はページをめくり、「君主たる者は、恐れられるのと愛されるのがよいか」の章を選び、「二つあわせもつは、いたって難しい。どちらか一つを捨ててやっていくとすれば、愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である」と、読み上げました。

同氏は社内でも、社外でも「恐れられる」ことを心掛けていたと思います。編集では、自ら指揮を執る社説を大事にしていました。ある日、外交専門家(岡崎久彦、外務省OB)が主筆の部屋を訪れ、社説にクレームをつけにきました。烈火の如く怒り、「社説に文句をいうことは断じて許さない」と、罵倒しました。「恐れられる」を実践したのでしょう。この話を会議で後に聞かされました。