- アメリカも「言ってること」と「やってること」が全然違うという話
Bの「アメリカが言ってることとやってることが全然違う」という話は、「アメリカのリベラルが主張していること」を「アメリカ社会が実際にやってない」可能性がかなりあるってことなんですね。
例えば以下記事で紹介した、ノーベル経済学賞のゴールディン氏の研究で重要な「グリーディジョブ」という概念についてもそうなんですが…
「グリーディジョブ」というのは、既に「同じ大学を出て同じ仕事を得て同じ時間働いている」男女に対して賃金差別などほとんどなく、一部の高給な仕事にありがちな24時間捧げ尽くさないといけないようなタイプの仕事(これがグリーディジョブ)に対して、出産後の女性が参加しなくなることが統計的に見た賃金の男女差の大きな原因になっているという分析から来る概念ですね。
で、「アメリカのリベラル」が、例えばゴールディン氏が言うように「グリーディジョブはやめましょう」みたいな話になったとしても、アメリカ自身がそれを「掛け声だけで実際には取り入れない」可能性はかなりあるんですよね。
アメリカっていうのは多様な国なので、「グリーディージョブはやめましょう」っていう話になったからといって、その競争力の源泉となっているようなベンチャー企業や多国籍企業のエリートは相変わらず馬車馬のように働き続ける可能性が高い。
また、この記事でも紹介したように既に日本の労働時間はOECD諸国に比べてかなり少ないレベルまで「働き方改革」は進んでいて、最近の日本を知らない海外在住の人とかはそのあたりの実情を理解できていない可能性があるなと思います。
アメリカや韓国や中国のほうがよほど長時間働いている現実がある中で、「日本の経営者ってバカだから自分たちは長時間労働させられているんだ」みたいな話ばかりをずっと続けられない状況になってきている。
今後、「グリーディジョブの非グリーディ化が必要」というのがジェンダー界隈の流行になっても、アメリカの場合「自分たちの競争力の源泉」である一部のベンチャーや多国籍企業のエリート役員だけは例外にし続ける可能性が高い。
一方で問題は日本の場合、「強みの源泉」といえるものが概してエリート主義的な欧米に比べて広い範囲の「中間的な働き手」に支えられている部分が大きいことなんですよね。
例えばショーンKY氏の議論にも良く出てくる、
「欧米の”ガチのエリート女性”はかなりの割合で”主夫”をパートナーにしている」
…という話がある。
欧米でも、企業管理職や政治家の女性は、特に仕事の事情で住む場所を選べないタイプの仕事については男性の側が「サポート」に回る例が多いらしい。
世界中で商売している大企業の幹部だけど転勤はできませんとか、政治家なのに東京と選挙区を往復したくないとか、そういうわけにもいかないですよね。
だから、「欧米でも実態はそうなってない」話を、「アメリカのリベラルの紋切り型」的に「日本でできないのは差別主義だからだ」っていう話をしていても決して解決できない。
ただこの問題をさらにややこしくしているのは、さっきも書いたけど欧米は日本よりエリート主義的な社会で、”こういう扱い”になる人数は凄く少数である可能性が高い事なんですよね。
ほんの一握りのエリート女性の場合のみ、主夫をパートナーにすればいいし、何ならそういう欧米の超一人握りのエリートは日本ではありえないほど高収入な事も多いからバンバン家事をカネで解決すればいいという話になる。
日本は広い範囲の中流的存在が”幹部になりえる…かも?”ぐらいの構造になっているので、この問題に関わる人数が社会の中で増える。ここで女性活躍を理由として”もっとエリート主義的な社会”になってしまうのでいいのか?的な問題とセットにして真剣にどうすべきか考える必要は出てくる。
ゴールディン氏の言うように「グリーディジョブの非グリーディ化」できる仕事は「非グリーディ化」していけばいいけど、できない仕事も当然残るし、欧米でもトップ層の女性は馬車馬のように働き続けるし、日本企業は「ソレ」とガチンコで競争し続けないといけない。
その構造の中で、女性にも「幹部」になる道を開いていくには、「アメリカでできてるんだから日本でできないのは差別主義者のオッサンが差別しているからだ」じゃなくて、「そこにある具体的な問題自体を解きほぐして解決する方法」を考える必要がある。
「非グリーディ化」できる仕事はすればいいけど、できないタイプの仕事においては、「その仕事を女性もできる方法」について個別具体的な特有の解決策を探していく必要が生まれる。
要するにショーンKY氏型の議論は、「アメリカのリベラルの単一的な世界観のゴリ押し」が現実と乖離している部分について、「そう簡単にはいかないんですよ」と教えてくれている役割だと考えるべきなんですよ。
・「欧米でもエリート女性は主夫をパートナーにしがち」 ・「北欧における女性の社会進出は、”性差”によって進出する職業がかなり違う形で達成されているがそれでいいのか?」
…といった指摘は、「反論」というより、「実行上の個別の問題点の指摘」であって、
「この差別主義者め!」と排除するんじゃなくて、その問題意識をちゃんと引き受けた上で「確かにそこの問題を超えるための個別具体的な対策を打っていかないといけないですね」という形に持っていくことが必要。
ただ、ネットでは「仁義なき永久戦争」だけが起きている感じではありますが、そういう「特有のミスマッチを具体的に解決する事が必要」というムード自体は日本においても徐々に出てきているはずではあるんですね。
以下記事に書いたように、「外資出身だったり特定の専門職だったりの女性」ではなく、「男性と同じように日本の大企業に新卒で入って役員に出世する女性」の世代が出てきた事で、やっと日本の場合においてちゃんと「女性が幹部に残る道」を具体的に考えられる時代になってきている。
上記記事のように、「ある程度グリーディジョブ化は免れ得ないタイプの仕事」においても、「具体的に存在する日本の会社」と「具体的にそこで働いている日本の女性」との間に適切な協力関係を作っていけば、また別の解決策も見えてくるはず。
「大上段の差別問題」ではなくて、「日本の会社で働く女性の事情」と「その会社の事情」をちゃんと突き合わせて、具体的なミスマッチを解消していくプロセスをエンパワーしていくべき時期に来ているということですね。
4. 社会の末端が「アメリカ的崩壊」状態にならないためには、デリケートな合意形成が必要ゴールディン氏の研究における薬剤師の事例のような、仕事の標準化による「グリーディジョブの非グリーディジョブ化」は、今後日本でも当然進むはずですし、それをもっと後押ししていかないといけないのは当然の現象としてある。
ただ、そういうプロセスってものすごくデリケートなものなんですよね。
ゴールディン氏も、薬剤師業界が資本主義的なメカニズムで強烈に統制されていって、「小規模の自営薬局」みたいな業態が消滅していることについてかすかに懸念を持っているような口ぶりになってましたけど、そこにある「デリケートな問題」を丁寧に紐解きながらじゃないとこういう流れは進めていけない。
ましてや「お前たちは遅れてる!」って延々罵倒しているだけだと反発が募って余計に紛糾するんで、以下記事に書いたような、今日本の中小企業界隈で起きている「静かな変化」と結びついて丁寧に後押ししていく事が必要になるでしょう。
さらに、「欧米では一握りのエリートだけで済む」ような、「特定の会社に深く関わって幹部になっていくようなキャリアパス」に関しては、日本の場合は特有の「女性の両立問題」を考えていく必要はありそうで、それはさっきも書いたこの記事で書いたとおりです。
あと、これは過去に何度か書いてるんですが、「メーカーに就職したけど工場勤務は嫌な女性」とか、ちょっとさすがにナメてんのかって話になるんで、そういう部分で具体的なミスマッチを解消していく方法はちゃんと考える必要があると思います。
そのあたりは以下の記事で書いたんですが…
とりあえず「いわゆる港区女子」的に人生がキラキラしてないと絶対嫌っていう女性をメーカーに就職させて、工場勤務が嫌だから退職になるとか、そういうの誰のためにもなってないですよね。
女性でも「ものづくり」的なカルチャーに適性ある人はいるし、そういう人が人生の中でその道を諦めないように誘導しつつ、いざ「そこで働いてもらう」ようになってからなら、「具体的なミスマッチの解消」のためにやるべきことは沢山ある。
上記記事で、私のクライアントの愛知県のあるメーカーの話をしてますが、出産後も戻って来やすい制度の細部設定とか、あるいは社食にオッサン向けドカ食いメニューしかないというマイクロアグレッション的な課題まで、ミスマッチ解消をしていくべき課題は沢山あるんですね。
こういうのは、「日本のメーカー企業」という特殊な個別の事情と、さらに「そのメーカーで働いても幸せになれるタイプの女性」という特殊な個別の事情と、それぞれちゃんとスペシフィックな課題を掘り下げて、具体的なミスマッチの解消をしていかないといけない。
要するに、ちゃんと「具体的なミスマッチ」までブレイクダウンしたその先においては、「フェミニズム」が主張していることも重要な意味を持ってくるってことなんですね。
そこまで踏み込まずに、「ジェンダーギャップ指数」みたいな、何もかも丸めた数字で殴っていても決して解決できない課題がここにはあるわけで、ジェンダー論があと一歩「リーンイン」しなきゃいけない分岐点になっている。
「純粋悪の抑圧者」と「純粋善のレジスタンス」みたいな世界観でいる限り決して踏み込めない、「両側の事情をテーブルの上にあげて解きほぐす」課題に人々の意識を巻き込んでいかないといけない。
要するに、この記事冒頭で書いたような、「滑走路段階」から「飛行段階」に入るにあたっては、ただ「お前たちは遅れている」って言っているだけじゃダメで、「日本社会側の事情」を丁寧に引き出して具体的な解決策を見出していかないといけないってことなんですね。