IPCCのCO2温暖化説の基礎は、Princeton大学の真鍋淑郎が1次元モデル(1967)と3次元モデル(1975)で提唱しましたが、1979年にMITの優れた気象学者R. Newell が理論的に否定しました。
ところがDOEは、1979年のスリーマイル島原発事故で苦境にあった原発を推進するため真鍋のCO2温暖化説が必要だったので、次の文献によれば注1)、R. Newellへの研究資金を停止し、R. Cessは原発推進のメッカであるLawrence Livermore国立研究所の研究員と一緒にR. Newellを激しく攻撃して彼を抹殺しました。
1986年のチェルノブイリ原発事故の2年後の1988年に、「原発推進・炭鉱閉山」政策を強行していたサッチャー元首相の尽力でIPCCが設立されました。彼女は化学士だったので、科学に疎い各国首脳を前に「原発のCO2削減による地球温暖化防止」を首脳会議や国連総会で演説し、政治経験が少ないにも拘らず世界のリーダーとなりました。
また1990年にはHadley研究所を開設し、他の分野の研究費を削ってCO2温暖化説の研究に多額の研究費を配分しました。この結果、一見CO2とは無関係な分野の学者までも「自分の研究はCO2削減に有効」と主張して研究費を入手するようになりました。
Hadley研究所は後にIPCC Working Group1に発展し、IPCC評価報告書の最重要部分を担当することになりました。こうした事情は、英石炭産業の研究者だったR. Courtneyの次の資料に詳しく述べられています。
R. Courtney, .” Global Warming : How It All Began ”,(1999)
従って、CO2温暖化説は「原発推進・脱石炭」のためのfake scienceとして誕生したのであり、R. Newellを抹殺した功績でIPCCの理論的指導者になったR. Cessをはじめ、CO2温暖化説の宣伝を熱心に行ったS. Schneider、J. Hansen、 M. Schlesinger、T. Wigleyらは「原発推進による地球温暖化防止」を強く主張しました。
R. Cessは各国で開発された気候モデルの比較プロジェクトを主宰し、「CO2が300ppmから600ppmへ倍増時の地表気温上昇である気候感度は3℃」という計算結果を出すように強制しました。これがパリ協定の「産業革命前からの気温上昇を2℃以内に抑え、1.5℃以下になるように努力する」という根拠になっています。
実際、福島第1原発事故まではCO2削減の主役は再エネではなく原発であり、世界中で「原発増設で低炭素社会構築」が叫ばれました。日本では、2005年の「原子力ルネサンス」の時、現在は「再エネ推進」を主張している国立環境研究所の江守正多氏が「CO2倍増で気温が2℃上昇し気候大異変が起きる」と騒ぎ立てて、2006年「原子力立国計画」などの原発推進に大きな貢献をしました。
「環境原理主義者」の民主党左派の影響を強く受けたオバマ元政権は、「Green New Deal」、「Clean Power Plan」を推進し、2015年に「パリ協定」を成立させて、石炭火力廃止とEV推進による脱炭素を進めました。更にバイデン政権は「2050年Net Zero」を策定して各国に強要しており、日本では、2020年10月に菅前首相が「2050年Carbon Neutral」を宣言しました。
2. 3つの気象機関による世界平均気温グラフの比較CO2濃度の上昇に合わせて急激に気温が上昇するNASA GISSのグラフは、IPCC、WMO、NOAA、気象庁などが用いていますが、NASA GISSのDirectorを1981-2013年に勤めたJ. Hansenとその後継者G. Schmidtによるデータ操作が行われていて信用できません。
J. Hansenは1988年の干ばつの時、冷房を切った会議室で議員たちを前に「この熱波は99%CO2温暖化の証拠だ」と宣言し、「根拠が無い」と他の学者たちは眉を顰めましたが、世間では「温暖化の父」と言われるようになりました。
上記のNASA GISSの世界平均気温グラフに対して、次に示すHadCRUT5とUAHの気温グラフは緩やかな気温上昇を示しており、CO2濃度と相関していません。また2023年夏の異常高温は、El Ninoの影響であることを示しています。