「指三本」で自ら墓穴を掘る

ところが、彼は、突発した女性スキャンダルに足をすくわれ、就任後僅か69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わりました。この辺のいきさつは、あまり品の良いものではないので、ここで詳述しませんが、興味のある方はネットで検索していただくとして、掻い摘んで言えば次の通りです。

宇野氏が首相に就任した3日後、「サンデー毎日」が、東京・神楽坂の芸妓が宇野氏を告発したという記事を掲載。それによると、彼女は宇野氏との「情事」の代償として毎月300万円もらうつもりが30万円しかくれなかったので約束違反だというわけです。つまり宇野氏は彼女に指3本を示し、これでどうだと言ったのを彼女は勝手に一桁多く誤解していたようなのです。

一流の老舗料亭に上がるようなベテラン芸妓は決して顧客情報を口外しないとされていますが、あいにく彼女はアルバイト芸妓で、週刊誌にペラペラしゃべってしまったというのが真相のようです。

このスキャンダルのせいだけではありませんが、直後の参議院選挙で自民党は惨敗、参議院では結党以来初めての過半数割れ。その責任をとって宇野内閣は退陣という甚だ不名誉な結果となりました(後任首相は愛知県出身の海部俊樹氏)。宇野さんも外務大臣でとどまっていればよかったものを、なまじ総理大臣に上り詰めたばかりにひどい目に逢い、晩節を汚したと言えるでしょう。

政治家のスキャンダルは決して珍しいことではなく、現在でも「文春砲」などの標的となって失脚する政治家が後を絶ちません。それはそれで自業自得、身から出た錆だ、政治家たるものは常に身辺を清潔にしておかねばならぬ、ということでしょう。確かにその通りではありますが、正直なところ、私はちょっと違った見方をしています。

もう一人の大物・田中角栄の場合

例えば、田中角栄元首相を例にとって考えてみましょう。周知のように、彼は高等小学校卒だけの学歴でしたが、「コンピューター付きブルドーザー」と言われたほどの行動力を持った稀有な政治家で、『日本列島改造論』で知られました。私も現役時代に、国会内で何度かご本人に会ったことがありますが、「今太閤」と評されたその強烈な人間的魅力はいまだに鮮明に記憶しています。

田中角栄元首相Wikipediaより

その彼もロッキード事件に引っかかって任期途中で失脚しましたが、私は今でも実に惜しい人を失ったものだと思っています。そして、その彼を容赦なく誹謗し葬り去ったマスコミや評論家(とくに「田中金脈」を最初に大きく報道した故立花隆氏)の姿勢には違和感を感じざるを得ません。

当時のマスコミは単に興味本位と思われるほど執拗に元首相のあら捜しをし、寄ってたかって非難攻撃しましたが、それは彼の一面を見ていただけで、彼が日本の発展にどれだけ重要な貢献をしたか、そして、これからまだまだ大きな貢献をなしうる人物であることを認識していたか。ただ前後見境もなく集中攻撃をして、あたら傑出した人材を潰してしまったのではないか。

私は今でも、彼がもう2、3年長く総理大臣をやっていたら、日本は大きく変わったのではないかと思っています。あのような百年に一人出るか出ないかというほどの桁外れの政治家は、国家にとってかけがえのない存在だったと思っており、それゆえに、あのような大政治家は、色々毀誉褒貶はあったにしても、国民としてできるだけサポートして行くべきではなかったかと思っています。

誤解を恐れずにあえて言えば、そのような意味において田中氏と宇野氏のケースには1つの共通点があるのではないかというのが私個人の見立てです。

ネルソン提督「英雄は色を好む」?

この私の考え方を裏付けるような一つのエピソード(言い伝え)が民主主義の発祥地で、老練な外交手腕で知られるイギリスにありますので、次にご紹介しておきます。

「我々は道徳堅固でトラファルガーの海戦に負けるネルソンを持つよりは、ハミルトン夫人と姦通をしても、トラファルガーの海戦に勝つ将軍を持つ方が幸福である」

(誰がいつ言ったかは不詳)

トラファルガーの海戦(ターナー画)Wikipediaより

トラファルガーの海戦とは、1805年、スペインのトラファルガー岬(ジブラルタル海峡のそば)でイギリス海軍とナポレオン率いるフランス・スペイン連合軍が激突した海戦で、英国艦隊の司令長官がネルソン提督。

ちなみに、この海戦でネルソンが旗艦のマストに掲げたZ旗(英国は各員がその義務を尽くすことを期待する)の故事に倣って、百年後の日露戦争では日本海海戦で東郷平八郎がZ旗(皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ)を掲げ、ロシアのバルチック艦隊を全滅させたことはご存じの通り。

また、ハミルトン夫人とは、当時の駐仏イギリス大使の妻で、ネルソンと不倫関係にあったとされ、二人のラブロマンスは、その後「美女ありき」というハリウッド映画(1941年公開、主演はビビアン・リーとローレンス・オリビエ)で描かれ有名になりました。