銀行を救済するため、議会は1816年に別の中央銀行、合衆国第二銀行を設立しました。

第二銀行は、地方銀行による過剰な融資を抑制しました。とはいっても、それは最初にそれを奨励した後のことでしかありませんでした。その結果、負債に煽られた好況が続き、1819年には国内初の恐慌を引き起こしました。

議会の多くは、中央銀行が引き起こす激しい痙攣のような経済状況に寛容でした。なぜなら、中央銀行はあからさまな増税をすることなく、自分たちが使うための資金を提供してくれたからです。

しかし国民は騙されず、容認しませんでした。国民は、この中央銀行という野獣と戦うためにアンドリュー・ジャクソンを選出し、1836年に銀行の認可が更新されないようにしました。

その結果、アメリカは数十年にわたる経済成長を遂げることになりました。

1907年、大手銀行の不始末が銀行危機を引き起こし、J.P.モルガン社による壮大な救済活動が必要となったことで、黄金時代は終わりを告げました。これに対し、J.P.モルガンは、このような危機に対応するための民間の「銀行家のための銀行」を政府が認可することを望みました。

議会の進歩派は、ネルソン・アルドリッチ上院議員が言ったように、「銀行の危機に対処するために、常にジョン・ピアポント・モルガン(※アメリカのモルガン財閥の創始者)がそばにいるとは限らない」という理由で、これを拒否しました。

こうして1913年にモルガンが亡くなった直後、政治家たちは政府と不良銀行を救済するための完全な政府系機関、連邦準備制度理事会(FRB)を設立しました。

その瞬間から、好況と不況のサイクルはステロイド中毒に陥るようになりました。

不吉なことに、FRBは第一次世界大戦の戦費を賄うためのインフレブームとともに始まり、それは1920年の不況によって幕を閉じました。FRBは1920年代後半、イギリスを浮揚させるために再びインフレブームを起こし、世界恐慌を引き起こしたのです。過去100年間、FRBは5年から10年ごとにバブルを生み出し、そして弾けさせ、そのたびにアメリカ経済の大部分を崩壊させてきました。

過去30年間だけでも、FRBの低金利は1990年代のドットコムバブル、住宅バブル、2008年の世界金融危機を引き起こしました。今日、FRBがコロナ危機のロックダウンに対する市民への賄賂とも呼ぶべき通貨の増刷を行った結果、1970年代のスタグフレーションと2008年のような銀行破綻を合わせたような複合的なリスクをもたらす全てのバブル、つまり全面的なインフレが起きています。

創設以来、FRBは1ドルの価値の98%を盗んできました。FRBはその利益を使って好況と不況のサイクルを繰り返し、連邦政府、特別利益団体、裕福な借り手に何兆ドルも移転してきたのです。

ジャクソン大統領は中央銀行がこのような泥棒行為をすることを許しませんでした。そして、私たちも許す必要などないのです。

編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2024年4月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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