発売中の『文藝春秋』2025年1月号の読書欄は、年末恒例の「今年の3冊」特集。私も隔月コラムの担当者として、寄稿しています。

上記からも飛べるとおり、私が挙げたのは――

① 会田正継『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』 ② 池田嘉郎『ロシアとは何ものか』 ③ 大場一央『戦う江戸思想』

でした! 米露日を扱う1冊ずつですが、どの本にも共通するのは、「近代以前」にその地域が持っているルーツを捉えなければ、いま目の前で起きている変動を理解できないとする視点です。

『近代以前』はその昔、江藤淳が彼なりの徳川思想史をアメリカで綴った本の書名ですが、近代にあたかも「世界共通のフォーマット」のように広まった自由民主主義をインストールしさえすれば、それ以前にあった歴史が上書きされて消えるみたいなことはなかったんですよ。やっぱり。

逆にいうと歴史の専門家は、本来なら日々のニュースに接するごとに、そうした(丸山眞男風にいうと)現在も蠢く「古層」のあり方を、読者に伝えてゆく使命を負っている。なので、コロナでそれを果たす気がないとバレちゃった日本のレキシガクシャは、バカにされてもしかたない(笑)。

それにつけてもレベル低すぎなのが、わが国の自国史、すなわち「日本史」のセンモンカと称する面々です。①の会田著が描くアメリカの「自国史家」の姿と比べても、想像を絶する低次元だったなと、改めて痛感しました。