■UFO母船で告げられた戦慄の事実
問題の25日、一行が高尾山頂に集まったのは午後7時頃だったが、松村はその前から現場で待機し、日が沈んで夕焼けの残る西空の雲の合間に巨大なUFOが浮かんでいる姿を見た。UFOはすぐに雲の間に隠れたが、松村は「これで、自分がUFOに乗せてもらえる」と確信した。
翌26日の朝、松村はテレパシーに導かれてある場所へと向かった。そこには直径30メートルほどのUFOが着陸していた。
その上部はアダムスキーが目にした物体に似ていたが、下部は全体的に丸みを帯びて着陸ギアは見えなかった。するとUFOの側面がぽっかり開き、そこからはしごが伸びてきて、松村は出迎えた宇宙人に促されて中に入った。
乗り込んでからものの15、6分が経った頃、UFOは母船に到着した。母船内部の発着場から降り立ち、廊下へと出ると、そこは長さ2,000メートルあろうかという大通りになっており、まるで渋谷か新宿の繁華街のように大勢の外国人が歩いていた。
そこを歩いて、百畳はあろうかと思われる大きな部屋に導かれた。
内部ではテーブルが部屋の半分ほどを占めて半円形に並べられ、ずらりと宇宙人が腰を下ろしていた。中央のやや年取った感じの宇宙人が長老らしく、松村はその正面に置かれたテーブルに招かれ、椅子に座るよう促された。
じつはこの時期、CBAはある問題を抱えていた。
この頃、松村はアメリカのコンタクティー、スタンフォード兄弟の著書『地軸は傾く』の翻訳を進めていたのだが、この本の中には、「1960年に地軸が傾く大異変が起こる」とはっきり書かれていたのだ。CBA内部では、この記述をそのまま翻訳出版してよいものかどうか意見が割れていた。
そこで松村は長老に、この点を尋ねてみた。
するとその返答は次のようなものだった。
「地球の大変動が極めて近い将来に迫っている。そのため常時地球の観測を行っているが、その正確な期日は宇宙人にもわからない。あなたはその準備のために選ばれたのだ。
われわれ宇宙人としては、将来の地球再建のために1人でも多くの人類を他の遊星に避難させたい。しかし、決して混乱を招かないよう慎重にやりなさい」