■宇宙人との邂逅
すでに1958年6月17日には前兆があった。
このとき松村は、やはり桜木町駅におり、東京に向かうため改札を入ったところだった。その日は、駅の構内に打ち水がしてあった。そこで、打ち水の場所に足を踏み入れた何者かの足跡が、その先にくっきりと残っていた。松村にはその足跡に見覚えがあった。なんと、アダムスキーが会見したという金星人が、砂漠に残した靴跡とそっくりだったのだ。
アダムスキーのコンタクト・ストーリーに否定的だった松村は、衝撃に打ちひしがれながらも、その足跡の主を追った。しかし、その人物は一足違いで発車した電車に乗って行ってしまった。
本格的なコンタクトは、冒頭の事件の1週間後、7月17日に起始まった。
夕方7時頃、桜木町駅に着いた松村は、折からの夕立の中、市電に乗ろうと書類袋を頭にかざして停留所まで走った。そのとき書類を掲げる右腕が誰かに触れ、思わず
「失礼」
と言いながら振り向くと、そこには1週間前の夜、不思議な微笑を残して消えたあの女性がいたのだ。2人は近くの喫茶店に入った。そこでこの北欧系の顔立ちの美女は、自分が最近日本に配属された宇宙人の一人であること、松村は近々、日本にいる宇宙人の指揮官に会うことになる、などと話した。
この時2人はコーヒーを注文したが、女性はコーヒーに入れるべきミルクをコップの水に注いで飲み、コーヒーには手をつけなかったという。
松村が日本の宇宙人指導者に会ったのは、3日後の7月20日のことだった。
会合へと向かう松村が渋谷の道玄坂を歩いていると、何者かに肩をたたかれた。振り返ると、総髪の品の良い外国人紳士が立っている。なぜか、一目見て宇宙人であると了解できた。
この時、宇宙人は自らについて「日本にいる宇宙人達のキャップである」と名乗り、25日に高尾山頂にUFOが飛んだら、松村をUFOに同乗させると約束した。実は、CBAは25日を「第一回 全日本コンタクト・デー」と定め、その夜、全国でUFOに呼びかけることになっていた。そして、東京地区での実施場所こそ高尾山だったのだ――。