幼い子供にとって、この世界の見るもの触れるものの全てが「新しい」ものです。

一方、大人にとってはこの世の全てはありふれており、新作の絵本や映画に対しても「批評家」のように論じることも可能です。

大人たちは長い月日のなかで時間をかけて脳機能を高度化させており、あらゆるパターンを認識し、それらパターンをもとに自らの考えや判断を実行に移すことが可能だからです。

しかし幼い子供は違います。

「桃太郎」が「イヌ」「サル」「キジ」を仲間にするというパターン、仲間にするときにキビダンゴを使うというパターン、そして彼らが協力して鬼に立ち向かうというパターンは、幼い子供たちにとって初めて体験する予想もできない展開なのです。

そして鬼退治、鬼ヶ島といった名詞すら、全く新しい概念となり得ます。

そのため子供たちの多くは、物語の全てを1度の視聴では用意には把握できません。

面白いことはわかっているのに、物語の登場人物や設定も飲み込めない子も多いでしょう。

人間の認知能力は限界があり、1度の接触によって覚えたり理解できる範囲も限られています。

大人でも、昔読んだ本やみた物語を再び接したとき「あのシーンであのキャラクターが〇〇したのは、こういう意味があったんだ……」と新たな発見が起こります。

また動画サイトのようにコメントがあると、他人の意見や考察を聞いて「なるほど」と思ったりもします。

どちらも繰り返しが行われることによる、深い理解の進展です。

このような理解の深みが増す経験は、人間にとって独特の「快感」となります。

残念なことに大人の場合、そのような理解の深さが増すテンポは数十年単位です。

しかし急速に成長している子供たちののうではそれが毎日、毎時間のように起きています。

子供たちは初めての物語に接した時は、ほとんど何も理解できていないのでしょう。

しかし繰り返し接することで、ストーリーライン、キャラクターの行動の動機、キャラクター同士の関係性、重要なアイテム、重要な約束などの存在を記憶し、それらを脳内で連携して理解できるようになり、子供たちの脳内にこれまで存在しなかったパターン構造が形成されていきます。