1959年1月、冷戦真っただ中、ウラル工科大学の9人の学生がウラル山脈へ登山に出かけた。彼らは経験豊富な登山家でありスキーヤーだったが、そこで彼らを待ち受けていた悲劇を予期する者はいなかった。ディアトロフ峠事件は、今もなお多くの謎に包まれた不可解で不気味な事件である―――。
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彼らの目標は、オトルテン山へ到達することで、総距離約320キロの冒険となるはずだった。
2月1日、一行はホラート・シャフイル山の斜面にテントを設営した。この山の名前は、マンシ語で「死の山」を意味する。数週間後、大学と家族が捜索を開始したが、彼らは生きて発見されることはなかった。テントに残された日記とカメラのフィルムは、彼らの最後の瞬間の手がかりとなっている。