■当初は「河童の聖地」ではなかった?
「河童の聖地」として広く知られる遠野だが、地元民からすると河童はどのような存在なのだろうか。
こちらの疑問をめぐり、博物館の担当者は「遠野市公式キャラクターである『カリンちゃん』を筆頭に、市内各所に点在する河童像や、お土産品のラベルなど、河童の目撃情報は枚挙に暇がありません」と説明する。
中には「標識」や「交番」などに擬態する河童もいるが、遠野ではそれが自然に受け入れられているそうで、担当者は「河童がいる風景が当たり前で、河童の居場所がいつも何気なく空けられています」とも語っていた。それならば、ロッカーに河童が住み着いたのも納得である。
しかし、そんな遠野と河童の関係性は、一朝一夕で築き上げたようなものではないという。
担当者は「『遠野物語』は発刊当時は部数が少なく、広く世に回ることはありませんでした。しかし1935年(昭和10年)、佐々木喜善の遺稿を整理し、『遠野物語』119話に『遠野物語拾遺』原稿の299話を加えた『遠野物語 増補版』が出版され、一般読者にも読まれるようになりました」「しかし、この段階では遠野=河童という結びつきは、まだ薄かったようです」と、約90年前の「河童事情」を振り返る。
そんな「遠野の河童界隈」に転機が訪れたのは、1960年(昭和35年)以降のこと。
『遠野物語』が作家・三島由紀夫に評価されたり、思想家・吉本隆明の『共同幻想論』 内で題材にされるなどして評判を呼び、雑誌などで特集が組まれるようになると、『遠野物語』ゆかりの地・遠野を訪ねる人が現れ始める。
そして1975年(昭和50年)の「柳田國男生誕100年」をきっかけに、『遠野物語』ブームが巻き起こったのだ。
遠野市立博物館の担当者は「これらの再評価に呼応する形で市民の間でも『遠野物語』の価値が見直され、1966年(昭和41年)の遠野市施政方針演述では、民俗学や『遠野物語』を活かす施策の必要性が述べられました」「観光ガイドブックには河童淵や河童グッズが紹介されるようになり、官民共に『河童と暮らす街づくり』へと舵を切りました」と、説明している。