「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の成り立ち
ここからは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の成り立ちを解説します。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の由来
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は溺れている状況に由来する言葉です。
水に溺れかかった時は足掻けば足搔くほど深みにはまってしまいますが、逆に捨て身になって流れに身を任せればやがては浅瀬に立つことができます。
転じて、覚悟を決めて物事に取り組めば何かしらの活路が開けることを意味する言葉として使用されるようになったそうです。
「あれ」は命令形ではない
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は一見すると命令形のように見えます。
現に「〇〇であれ」という表現では「〇〇であるべき」という意味となります。
ただし「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の「あれ」は命令形ではありません。
これは「こそ」に呼応して已然形として結んだものです。
已然形とは「こそ」を受けて分を結ぶ表現方法で、ここでは「あれ」という形で結んでいるのが特徴です。
命令形ではないので注意しましょう。
出典ともされる和歌「山川の末を流れる橡殻も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の出典については『故事ことわざ知識辞典 日本編』にて言及されています。
実際に『故事ことわざ知識辞典 日本編』には空也上人の作と伝える和歌「山川の末を流れる橡殻も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」が出典とあります。
そのため「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」はもともと「山川の末を流れる橡殻も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉だったと考えられるでしょう。