●海洋貿易の中継地ディルムン
バーレーン要塞では、さまざまな時代の建造物が発掘されており、ディルムン時代にはここに海洋国家の首都があったと考えられている。
少し西方のバルバル神殿跡には、同じ場所に時代を違える三つの神殿が建てられていたことが確認されている。神殿はいずれも古代メソポタミアの主神の一人として崇拝されたエンキと、その妻ニンフルサグを祀ったもので、最古のものは、なんと紀元前3000年のものだという。
メソポタミアから出土した粘土板文書でディルムンに言及する最古のものは、紀元前2520年頃生存した、南バビロニアのラガシュの王ウル・ナンシェの書板と言われているが、この神殿はそれよりも前に建てられたことになる。つまりディルムンはその頃から、神エンキの聖なる場所であったわけだ。
古代メソポタミア時代の粘土板に記された記録によると、ディルムンはバーレーンだけでなくアラビア半島東部の沿岸にも領土を持っており、メソポタミアとは盛んに交易を行っていたという。当時の商人の家から出土した書板や、大神殿への奉納物リストによると、ディルムンからメソポタミアに対しては、銅を中心に、象牙、亀甲、真珠などが運ばれ、ディルムンには羊毛や毛皮、衣服や胡麻油などが輸出されていた。ディルムンからメソポタミアに運ばれた代表的な産品である銅は、当時のマカン、つまり、現在のオマーンで産出されたものらしい。ディルムンは、メソポタミアとオマーン、そしてインドを結ぶ交易路の中継点として栄えていたようだ。
ディルムンはエンキを祀った聖地にして、海洋貿易の中継地として栄えた豊かな島だった。〝不死の島〟の伝説は、そうしたディルムンの姿に古代メソポタミア諸国が特別な畏敬の念を抱いた結果、生まれたものだったのかもしれない。
最後にアヌンナキを宇宙人とするシッチンの解釈についても触れておこう。シッチンはアヌンナキが人類を作り出したのは約30万年前と主張しているが、現在の人類学の通説では現生人類がアフリカで誕生したのは約20万年前のことである。そして何よりも、太陽系探査がかなり進んだ現代においても、彼の言う第12番惑星ニビルの存在は確認されていない。さらに言うと、専門家によれば彼のシュメール語解釈もあまり正確ではないらしい。少なくともディルムンと宇宙人は関係がなさそうである。
文=羽仁礼
提供元・TOCANA
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