YS横浜の代表取締役でNPO法人の理事長も務める吉野氏にとって、本牧地区は生まれ育った地元であり、人一倍思い入れの強い土地だろう。吉野氏の思いを具現化するように「地域はファミリー」をスローガンに、簡易宿泊所で暮らす日雇い労働者の多い寿地区においてスタッフが無料の健康相談を催したり、管理栄養士やコーチらが足を運び、毎月1回、栄養や口腔衛生、健康体操、睡眠、サッカーなどの各講座を開き、運動不足解消のための「ウォーキングサッカー大会」も開催している。

設立当初から中学生年代を中心とした育成型クラブであり、ホームゲームの試合前にはスクール生が諸々の準備を務め、試合が始まるとゴール裏でトップチームに声援を送る姿が見られる。Jリーグの中では異彩を放つクラブだ。

しかし、その異質なクラブコンセプトは、Jクラブが60を数える現在、時代にそぐわないものとなってしまった。J3ならJ2、そしてJ1を目指すのは当然という空気の中、外野から見れば「昇格する気概が見えない」印象を与えてしまったからだ。

そしてついに今2024シーズン19位に終わり、2023シーズンから始まった(2023年は、J3参入資格を持たないHonda FCがJFL優勝、ブリオベッカ浦安が2位となったため開催なし)J3・JFL入れ替え戦に回った末、「高知県にJリーグを」のスローガンの下、県全体の期待を背負って戦いに挑んできた高知ユナイテッドの勢いと執念に屈した。

ニッパツ三ツ沢球技場 写真:Getty Images

Jの舞台に戻る意思とメリットは

問題はここからだ。果たして再び戦いの場をJFLに移すこととなったYS横浜は、再度、Jリーグ復帰を目指すのだろうか。そうであればJFLで2位以上の成績を収めた上で、再度クラブライセンスを取得するため「観衆平均2,000人」と「ホームスタジアムの3分の1以上に屋根の設置」といった問題をクリアしなければならない。