■「恥を知れ」を勘違いしていた時期も…

「恥を知れ」という言葉は、つい人に向かって使いたくなるが、その本質は前出の通り、自分自身への「戒め」なのだ。

同学の卒業生であるBさんは、「中学1年生のころは『恥を知れ、恥を』というイメージで、他人に向かって言いやすいことから、校訓をふざけて口にしていました」「恥をかくことが校訓だと、若気の至りでわざと勘違いをしたふりをし、一般的に恥ずかしいことをそっとやってみたりなどしても『恥を知れ』と友人らと言い合い、笑っていたことも多々あります」と、中学時代を振り返る。

校訓の本来の意味について、コタカの肉声による校内放送も流れていたそうだが、Bさんは「中学時代の自分には、響いておりませんでした」と苦笑い。しかし、この校訓に長年親しんできたことはBさんにとって大きな財産となったようだ。

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(画像=『Sirabee』より引用)

Bさんは、「自分の中の恥を知れ、未熟さを知れ、という言葉に中学から触れていたことは、今の自分にとってとても大きな意味があります」「多様化と言われる現在においては、そもそも恥ずべきことの捉え方が多岐に渡っていますが、私の中には『恥を知れ』が浸透していますので、『これまで何を恥と考えて生きてきたか』という点を、明確に振り返れます」と語る。

大勢の人にとって共通の「恥」と認識される事象は少なくないが、自身が恥と認識する一方で、それを恥と認識しない人が存在する事柄も、当然存在する。

Bさんはそうしたケースを例に挙げつつ、「自分自身の信念のように、恥ずべきことが明確になりました。良い校訓だと思います」と、笑顔で頷いていたのだ。

さらに、Bさんは「文化祭の時にはお揃いのウインドブレーカーを作るのが流行っており、背中に『shame on you』(恥を知れ)と入れているグループが沢山いました。懐かしいです」と、目を細めつつ振り返っている。「恥を知れ」という言葉は、格言としても青春の思い出としても、多くの大妻生の胸に刻まれているのだ。

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(画像=『Sirabee』より引用)

SNS等の影響もあり、軽率な発言や行いが炎上しやすくなった現代。慎みを持った行動ができるよう、自分自身に「恥を知れ」と問い続けるスタンスが何よりも重要な時代と言えるだろう。