■大妻生、それにしてもノリノリである
「大妻中学高等学校」公式サイトでは「創立以来100年の歴史を持つ大妻中学高等学校では、校訓『恥を知れ』を人間教育の根幹とし、一貫して『時代の要請に応える教育』を実践しています」と説明している。
「大妻学院」の創立者・大妻コタカは、校訓「恥を知れ」について「これは決して他人に言うことではなく、あくまでも自分に対して言うことです。人に見られたり、聞かれたりしたときに恥ずかしいようなことをしてはいないかと、自分を戒めることなのです」と語り、自分を律する心の大切さを常々説いていたという。
もとは大妻家の家訓であった「恥を知れ」が校訓となったのは、1917年(大正6年)のこと。しかしその言葉の重みは100年経ってなお、いや現代に生きる我々だからこそ、痛切に感じられるのかもしれない。
大妻女子高校、大学の卒業生であるAさんは、同校訓について「高校受験前の学校説明パンプレットで初めて知りました。高校に合格したら、どんなお作法教育があるのか楽しみだったのを記憶しています」と振り返る。
同校訓は大学よりも高校、高校よりも中学で特に使用・掲出されていたようで、Aさんは「クラスの大半が大妻中学から進学してきた生徒だったため、高校入学時には『恥を知れ』について、特に指導はなかったと記憶しています。しかし既にクラス中に『恥を知れ』が浸透していました」とも補足している。
そして何より驚きなのが、校内に設置された「恥を知れ」の数。
Aさんは「教室の黒板の上や校章の裏、文化祭や修学旅行のしおりなど、あらゆるところに『恥を知れが』ありました。自習時間に騒ぐなど、お行儀が悪いときは先生から『恥を知れ』と叱られたりしていました」と、目を細めつつ語ってくれたのだ。
そうしたエピソードに加え、やましい気持ちがなくとも、ついギクリとしてしまうフレーズだが、学生からはポジティブに受け止められていた模様。
Aさんは「自発性を重んじる校風でしたので『恥を知れ』を威圧的に感じたことはなく、むしろ生徒たちは自分たちの合い言葉のように、喜んで使っていました」と、笑顔で振り返っていたのだ。
なお、大学入学後は「恥を知れ」を目にする機会はグッと減るようで、Aさんは「校訓の大切さを、特に改めて実感した経験はありませんが、ひょっとしたら心の深層部分にしっかり刻まれているのかもしれません」とも語っている。
そして「卒業後に大妻生と昔話をするときなどは、校訓が話題にあがるケースが多いです」「在学中も卒業中も、愛着をもった大切な教訓です」と、大妻卒業生としての矜持を感じさせる温かいコメントを寄せてくれたのだ。