「知らない」は事実の認識としての「知らない」なのか、拒絶の意思表示の「知らない」なのか
この映像をどのように解釈するべきでしょうか。テレビ報道の記者を長くやった私の経験から考えると、水本記者はいきなり水原氏の父親宅を直撃訪問したものの拒絶された、と考えるのが自然な解釈だと思います。報道としては「使ってはいけない映像」だと思います。水原氏の父親は水原氏本人ではありません。今回の違法賭博問題の当事者でないので、もしもインタビューを放送するとしても同意を取った上で放送すべきです。
ところが驚いたことに『イット!』では、このドアホン越しの映像を繰り返し放送したばかりか、FNNロサンゼルス支局からの生中継で水本記者が「さきほどカリフォルニア州に住んでいる水原氏の父親が賭博に関わった疑惑について『知らなかった』と取材に対して答えています」とレポートしていました。映像を見る限り、水谷氏の父親が「取材に対して答え」て、違法賭博に関する質問に答えたインタビューだとはいえません。
記者としての私の経験で言うと、「知らないよ。俺は何も」という声を根拠にして、「水原氏の父親が賭博について知らなかった」と報道できる内容なのかは大いに疑問に思います。発話の状況からして、「水原氏の違法賭博について知っていたのか、知らなかったのか」を質問して、それに対して相手が考えてから回答したという状況ではありません。むしろ取材そのものを拒絶したと考えるべき状況です。「知らないよ。テレビに言うことなどない。帰ってくれ」という意味で発話していると思います。「ノーコメント」と同じ意味です。それを違法賭博についての認識を示したものとして放送してしまうことはミスリードだと思います。誠実な姿勢の報道だとはいえません。
このドアホン越しのインタビューには、他にも疑問を感じる点があります。そもそも取材する側は、この声の主が水原氏の父親であることを確認して放送したのでしょうか。現地時間の夜に父親の自宅のチャイムを鳴らして出た相手だから父親である可能性は高いとはいえるでしょうが、たまたま心配してかけつけた友人や知人という可能性がまったくないとはいえません。そういう場合は本人であるかどうかを確認しなければならないものですが、映像を見る限り、そうした確認をするようなやりとりがあったようには見えません。そもそも相手との間にまともな「会話」さえ成立していないのですから。そもそも、放送にあたって相手の同意をどこまで取っているのかも疑問です。同意を取らずに無断で放送したといえるケースではないでしょうか。相手が犯罪の容疑者でもないのに、無断で声を放送しても良いのでしょうか。
取材というのは、ある種の信頼関係があってこそ「確かな事実」を入手できるものです。水本記者の取材内容を見る限り、筆者にはこれが「確かな事実」だとは思えません。事実をちゃんと確認したのか、確認が「甘い」のではないかと思いました。