それはそれで、ひとつの考え方だし、もっとはっきり国民にそういう気持ちをお伝えになればいいと思うのだが、それは「国民とともに」という言葉で特徴付けられる市政というのとは違うのでないか。新型コロナ禍の時も医療現場を訪れて励まそうとか言うのでなく、ご自分たちに会うために人が集まっては迷惑をかけるとしてリモートでの視察などにされた。

いまも、一般国民以上にマスクを着用されていることが多いが、私も含めて、皇室の方々の尊顔を拝見したいと思う国民は多い。

愛子さまは、大学に三年間はほぼ通学ゼロ、四年目もゼミなのだけで一般学生との交流はしないまま卒業された。学業は文科系の科目は大変良くおできになるが、理数系は苦手で欠席されることも多かったし、学習院女子高でも定期試験は受けられないようなこともあった。

単独公務は眞子さま16歳、佳子さまや叔母の清子さまは19歳から開始されたが、23歳の誕生日の直前になってようやく開始された。

両陛下は、こうしたマイペースでのご成長を子育て論として尊重されているが、天皇という仕事は決められた時間に決められたことを余裕をもってすべきものだから、女帝の可能性があるなら、別の教育方針をとられていたのでないか。

皇室の伝統と現在の法律を曲げてでも、愛子天皇待望論の方は、いったいどういう象徴天皇論をお持ちなのだろうか。