さらに自分は漫画、アニメ、ゲームなどサブカルにも相当なお金を使って消費してきたし、ペンタブや音楽などの創作もやってみた。しかし、全体的に娯楽を体験すると「次の休日は丸一日使ってこれを遊ぼう」というものがなくなっていく。今も映画やゲームは好きだが、10代、20代までの熱量とは明確に違う。

そして大抵の場合、承認欲求にも虚しさを迎える日がやってくる。「お金持っているアピール投稿への”いいね”は自分に向けられているものではない」という本質にどうやっても気づいてしまうからだ。そしてそうしたアピールをする投稿主を見てもあまり幸せそうには見えない。

同年代も40代以降に似たような感覚になり、もう海岸線を車で飛ばして夜通し浜辺で語り明かす、みたいな若いこともしなくなる。途中から受け身の娯楽消費が尽きてしまうのだ。

人間関係に救われる

だが45歳になって受け身の娯楽ストックの在庫が尽きてしまっても、尚楽しめるフロンティアはいくつか存在する。それはすなわち、受け身ではなく主体的に取り組める活動である。

人によってその分野は異なる。たとえば勉強や研究だ。先日、たまたま見た有料自習室を利用する人たちにスポットを当てた番組を見たのだが、そこで「趣味で数学を研究している。数学は自分の人生そのもので見返りは求めていない」という人がいた。

これは普通ではないレベルの途方もない熱量の持ち主であり、こうした活動の再現性はない。一般人は人生丸ごとかけて挑戦したいような熱量をそもそも持っていないことがほとんどだからだ。

また、仕事も同じだ。ビジネスで楽に働くならフリーランスや一人社長が選択肢に上がる。仕事は好きなことだけをやり、嫌なことは一切しない。ただただ気楽である。しかし、そうした人の中には途中から会社経営をやりたくなり、あれほど嫌がっていたはずの人材のマネジメントや育成に興味を持ち始める者が現れる。おそらく、自分ひとりで豊かさを追求することに飽きてしまうのだろう。