世界はグローバリゼーションの到来を歓迎したが、グローバリゼーションは一部の国や地域で経済成長を促進させたが、その恩恵は不均等に分配されている。特に、先進国と発展途上国、都市部と農村部、グローバル企業の利益と労働者の賃金の格差が広がっている。
富裕層がグローバリゼーションの恩恵を大きく享受する一方、低所得層や一部の国々はその利益をあまり享受していないため、社会的・経済的不平等が拡大している。この不平等が各国での政治的不安やポピュリズム、反グローバリゼーション運動を引き起こし、国際協力や自由貿易体制への不信感が強まっている。また、情報技術の発展は、グローバリゼーションを加速させたが、同時に「デジタルデバイド」(技術格差)を拡大させている、いった具合だ。
グローバリゼーションがもたらす多文化主義や国際協力に対する反発として、ナショナリズムやポピュリズムが多くの国で勢いを増してきた。こうした動きは、自国第一主義や国境の強化、移民政策の厳格化につながり、国際協力の妨げとなっている面がある。また、グローバリゼーションは、文化の均質化や西洋的価値観の普及をもたらし、多くの地域でローカルな文化やアイデンティティが脅かされている、という批判がある(文化的なアイデンティの危機)。
だからといって、目を閉じ、耳を塞ぎ、コンピューターやスマートフォンのスイッチを切っては生きていけない。世界のグッド・ニュースだけを受信できるアプリを開発すればいいが、誰がニュースを鑑定し、発信するか、といった別の問題が出てくる。共産政権下での情報の管理、検閲が如何に非人間的かを既に体験済みだ。
イエスは2000年前、イチジクの木を例に挙げて、「イチジクの木からこの譬(たとえ)を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる」(「マタイによる福音書」第24章)と語り、時の訪れを知れと諭したが、インターネットで結ばれている現代ならば、世界で何が起きているかは一目瞭然だ。問題はどうしたら時代の閉塞感を乗り越えることができるかだ。